新庄徳洲会病院

menu

<

掲載日付:2011.10.15

Vol.65 「死の町」発言について考える

 就任直後に辞任した鉢呂前経産相の「死の町」発言は、故郷を離れざるを得なかった地元民にとって不愉快だろうと思いますが、 辞任に値するようなものだったのでしょうか。 記事によると以下のような内容だったようです。

 《福島の汚染が私ども経産省の原点と捉え、そこから出発すべきだ。事故現場の作業員や管理をしている人たちは予想以上に前向きで、明るく活力を持って取り組んでおり、3~4月とは雲泥の差だと話していた。残念ながら周辺町村の市街地は、人っ子一人いないまさに死の町という形だった。「福島の再生なくして、日本の元気な再生はない」ということを第一の柱に、野田内閣としてやっていくということをいたるところでお話しした。》

 さて、この表現のどこが問題なのでしょうか。「ゴーストタウン」なら許されるのでしょうか。被災者を一人も傷つけずに、あのような被害を受けた地域を描写することは可能でしょうか。全く人間味のない、官僚の作文くらいしか私は思いつきません。そのような発言をすれば「官僚の作文の棒読み」と今度は非難するのです。マスメディアは自分を安全地帯において批判ばかりするのではなく、みずからを主語にしてもっと語るべきです。

 はっきり言ってこれは言葉狩りです。自らが正義であるということを強調するために、政治家を悪人に仕立てているにすぎません。私は、鉢呂さんを擁護するつもりはありませんが、このようなマスメディアの横暴は容認できません。「放射能発言」も軽率とは思いますが、 どういう流れの中で何と言ったのかは、正確な記録はなさそうです。

 コラムニストの小田嶋隆氏は、「政治家は臆病であるよりは率直であるべきだと思うし、特に混乱期のリーダーは、事にあたって及び腰であるよりは、時に言葉がすぎるタイプの人格の持ち主であった方が望ましいとさえ思っている。」と述べていますが、全く同感です。

 現在に至るまで急性の放射線障害で亡くなった方がいないことからもわかるように、原発事故後に「ただちに健康に影響が出るものではない」と言うのは、実にたやすいことです。では、あの発言は何か意味のあることを伝えたでしょうか。野田首相は、「余計なことを言わない」「派手なことをしない」「突出しない」を施政方針の3原則としているそうです。国民は、感情を持たず批判されないことを最優先する政治家を望んでいるのでしょうか。

院長 笹壁弘嗣
新庄朝日 第679号 平成23年10月15日(土) 掲載


menu close

スマートフォン用メニュー