Vol.12 盲腸の治療は下剤だった?
簡単な病気や手術の代表と思われている盲腸(または盲腸炎)は、正式には「急性虫垂炎」という病気ですが、100年前には深刻な死の病でした。盲腸は、解剖学的な名称で、小腸が終わって、大腸が始まる部分を指します。虫垂は、盲腸の先端から虫のように出た突起で、16世紀に「虫様突起」と命名されました。
19世紀前半には、急性虫垂炎は盲腸のまわりに炎症があるので「盲腸周囲炎」と呼ばれていました。腸の活動が停止するために起こる炎症と考えられ、治療に腸の動きを促進するために下剤が使われ、逆に悪化することが多かったのです。重症になるとアヘンを用いて鎮痛をはかるのが精一杯で、死亡率は60%程度だったと推測されます。
19世紀中頃から少しずつ、盲腸周囲炎に対して手術が行われるようになりましたが、現在のように炎症を起こした虫垂を切除するのではなく、炎症が進んで虫垂に穴が開き、膿がお腹の中に貯まってから、ようやくその膿を体外へ排出するというものでした。1882年フランスのガンベッダ首相は、当時の最高の医師団が手を尽くしながらも命を失っています。20年後の1902年には戴冠式直前に英国のエドワード7世が、世界中が見守るなか受けた緊急手術も、膿を体外へ排出するものでした。このときもさんざん手術をするかどうか迷ったあげくの選択で、幸い救命されましたが、戴冠式が行われたのは2ヶ月後でした。
本格的な虫垂切除は、当時医療後進国であった米国で発展します。まず、解剖学と病理学が専門であったレジナード・フィッツが、1886年に盲腸周囲炎の原因が虫垂にあると指摘し、虫垂炎という言葉を創り出し、虫垂切除の必要性を訴えます。そして、チャールズ・マックバーニーが、虫垂炎の初期には右の下腹を押すと痛みのある点があることを発見し、早期に虫垂切除を行い、1889年には、死亡率と合併症率を劇的に低下させます。長期の旅行前には予防的に虫垂を切除する習慣ができたこともありました。死亡率は、1880年頃は45%でしたが、1900年頃には20%にまで低下し、ペニシリンが普及した1940年代後半には2%になります。今では、血液検査・超音波エコー、CTスキャンなどで診断はかなり正確に、死亡率も1%以下になりましたが、決して侮れない病気であることに変わりはありません。
院長 笹壁弘嗣
新庄朝日 第543号 平成18年2月15日