Vol.290 韓国の医療情勢から学ぶことは?
徳洲会では、毎月、全国の病院長・看護部長・事務長が集まるセミナーがあります。そこでは経営状況の分析と今後の方針について話し合われますが、変化していく医療情勢も話題になり、中でも研修病院として全国有数の組織であるため、医師対策も主要なテーマになります。近年では、海外に留学して医師免許を取得した後に日本の国家試験に合格した日本人医師以外に、日本で勤務するために来日する外国人医師も増加しているので、彼らの動向も対象になりますが、昨年11月の会議で報告された韓国の医療情勢は衝撃的でした。それは、医学部の学生1万9千人のうち97%が授業をボイコットし、卒業予定者3200人中300人しか医師国家試験を受けないというものです。日本では考えられないことです。2020年の国別医療調査では、医療水準が世界93ヵ国中2位(1位は台湾、3位は日本)という韓国で、一体何が起こっているのでしょう。
韓国の国土面積は日本の約1/4、人口は約1/2ですが、日本以上に都市部への人口集中が進んでいるため、ソウルの人口密度は東京や横浜の3倍もあり、医療機関も圧倒的に都市部に集中しています。また、出生率は世界最低レベルで、少子高齢化の進行速度は日本以上です。医師数は日本の半分程度なので、人口あたりの医師数はほぼ同数で、両国ともに経済協力開発機構(OECD)加盟国では最低水準です。このような中で韓国政府は、2025年から医学部の定員を3058人から一気に5058人に増やすと発表しました。特に地方の医師不足を解消するため、増加する2千人のうち6割は「地方限定募集」としました。また、公立の医科大学を新設することを医師会を無視するような形で進め、さらに入試に筆記試験免除で親のコネで入れる枠があることが発覚しました。このようなことが原因で既得権益を奪われる現役医師の反発が爆発し、大規模なストライキが起こり、その影響が学生に広がり、国家試験拒否にまで至ったようです。
以前のコラム「直美を知っていますか」で取り上げたように、韓国では美容外科が盛況で、その理由の一つに医師が都市部で重労働なしで高収入を得られるということがあると述べました。逆に、地方勤務や重労働の診療科が嫌がられ、地域や診療科によって医師が偏在するのですが、その傾向は日本よりも強いと思われます。さらに、韓国の人口当たりの看護師数は、日本の1/4程度であるため、不足する医師の労働を医師以外の職種で補うことが難しいことが想像できます。国民にとっては日本よりも厳しい医療環境にありながら、医師の職場放棄や国外流出が現実のものとなっています。国民の利益を考えると政府の進める政策が支持されるような気がしますが、医師のストライキに対し、国民の命を犠牲にするという批判よりも、政府のやり方への怒りが上回ったようです。このストライキの影響で大量の学生が、医師国家試験受験を放棄し、政府も学生に国家試験を受けるチャンスを与えませんでした。
このような混乱の中で、日本以上にエリート意識の高い韓国人医師は、海外への脱出を考えています。現役医師のうち、2万人が米国、8千人が日本での仕事を希望しているとのことで、実際に年間40〜50人の韓国人医師が日本の医師免許を取得しています。韓国ほどの極端なことは起こりにくいでしょうが、我が国も同様の道を辿っています。医学の進歩の恩恵をこれまで通りの軽い経済負担で享受できると考える国民が多い中で、医師不足や愚かと言うしかない働き方改革で医療の供給体制が脆弱になり、経済が低迷するにも関わらず医療費は高騰しているのです。医療の質と医療へのアクセスの公平性を保ちながら、経済情勢に合わせて優先順位をつけて医療体制を維持するしかないのですが、そのためには、ある程度の不幸を受け入れる覚悟を持った国民と私利私欲に走らない政治家と官僚の割合が一定以上いることが必要条件です。