Vol.296 謝罪・訂正しないことが流行る社会
6月8日に大阪キー局である読売テレビで放送された「そこまで言って委員会NP」には、新型コロナウイルス感染症対策分科会の会長だった尾身茂氏が出演していました。東京キー局のテレビでは扱えない話題でも、地方局は取り上げることがあるので、インターネットでTVerを使って視聴しました(7月6日まで視聴可能)。氏の発言と、それに対する反応が注目されました。
コロナワクチンに対しては、「残念ながら感染予防効果はあまりなかった」と氏は述べていました。あまりなかったということは少しはあったようにも取れますが、科学者としては、「感染予防効果は統計学的に有意な差を証明できなかった」とするべきで、あるかないかと問われれば「あるとは言えない」というのが妥当です。感染予防効果がないなら、若者などの重症化率や死亡率が極端に低い人がワクチンを接種する意味はなくなりますが、実際には「思いやりワクチン」と言って高齢者や基礎疾患がある人を守るために若者も積極的に接種すべきだと喧伝されていました。尾身氏は、自分は初期から感染予防効果がないのだから接種は任意であると発言していたとのことですが、彼は少なくとも第8波の前までは若者も積極的に接種するように発言しており、番組内でも疑問が呈されましたが、尾身氏はそれは自分の考えではなく政府の見解を説明したというものでした。科学者が自分の考えと異なることを発表するのは如何なものでしょう。そもそも辞退すれば済むだけです。実は、政府広報からもワクチン推奨動画は出されていましたが、今では削除されています。また、同番組で橋下徹氏は、メディアがワクチン接種を煽りすぎたと主張していましたが、彼は若者には旅行や酒席に参加する資格として強制的にも射たせるべきだと、同時期にテレビ番組で堂々と主張していました。インターネット番組では有名なインフルエンサーが、接種しないのは人殺しだとさえ発言しています。
ワクチンの救済認定による死亡事例は1000件を超え、過去すべてのワクチンの151例を大幅に上回りましたが、ほとんどすべてが「情報不足等によりワクチンと死亡との因果関係が評価できないもの」に分類されていることについて尾身氏は、我が国ではこれを検証するシステムがないので難しいとコメントしていました。しかし彼はそのシステムを作ることに尽力したとは思えません。確かにそれは彼の仕事には含まれていないでしょうが、彼ほどの影響力がある人が今後のためにも検証システムを整備するよう発言さえしないのは理解できません。
当時ワクチン接種を勧めていた政治家や専門家や有名人でその発言を撤回したり訂正した人はいないように思います。まして不見識を恥じて謝罪した人は皆無でしょう。ところが、コロナ騒動で有名になった専門家の中には、出世を遂げた医師は片手では足りません。彼らの多くはダンマリを決め込むか屁理屈をこねるかという態度です。尾身氏が理事長を務める病院機構が多額の補助金を得ていながら、病床を十分に活用せず、さらにそれを資産運用に回していたことが番組で話題にされなかったのは事前に打ち合わされていたのでしょう。この番組の構成は不十分ではあるものの、彼がこのような検証番組に出演したことは評価します。私は彼の発言内容には疑問を持ちますが、意外なことに世間の彼への評価は好意的なものが多く、彼の著書「1100日間の葛藤 新型コロナ・パンデミック、専門家たちの記録」もアマゾンでは4.2と高評価です。私のような無名の医者の意見はさておき、専門家ほど自己の言動が誤っていたときや考えが変わったときにそれを公表するのをためらう傾向があるように思います。「過ちて改めざる、是を過ちと謂う」は、孔子の言葉で、過ちを犯してもそれを改めないことこそが本当の過ちであるという意味です。謝罪や訂正をすることは決して恥ではなく、むしろ日本人の美徳だったはずです。