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新庄徳洲会病院 院長の偏屈コラム/病院ブログ


掲載日付:2026.03.02

Vol.309 この齢になって恋愛小説を読んで泣くなんて

 参議院議員になった小説家の百田尚樹氏が、昨年11月の経済産業委員会で、赤沢亮正経済産業大臣の所信の文章に対して「意味が分からない」と質問したところ、赤沢氏は答弁の冒頭で、「私は百田先生の小説はほぼ全部読んでいる。特に至高だと思ったのが、『プリズム』。こんなこと書ける人がいるのか。天才だなと何年も前だが震えた覚えがある。」と答えました。私は、この作品が恋愛小説と知っていたので、優先順位が低く未読でしたが、このニュースを見て購入し、先ごろ新幹線の中で読んでみました。

 本作品は、主人公の女性が家庭教師として雇われて訪れた豪邸で、生徒の叔父である解離性同一性障害(いわゆる多重人格)の男性と出会い、彼の中の多くの人格に翻弄されながら、その中の一人と愛し合う長編サスペンスです。タイトルのプリズムは、無色の光がプリズムを通ると複数の色の光に分かれることを人格になぞらえて付けられたようです。一人の中に複数の人間が存在するという設定で、複雑な関係の家族や治療する精神科医や主人公の夫などの登場人物が絡みあって物語は進行します。多重人格は20世紀後半に米国で急激に増加した精神疾患で、その存在自体を疑う専門家もいます。そのような医学の中でも難解な領域に、百田氏が足を踏み入れて理解するためには多くの参考図書を読み込み、専門家にも教えを受けたことでしょう。物語の中で複数の登場人物の会話を通してその疾患を説明し、一般人にも違和感なく受け入れさせる筆力には感心します。さらに、誰もが心に持つ多面性を多重人格に例えて、普通の人も実感できるようにしているのは驚嘆に値します。巻末の解説で精神科医で作家の春日武彦氏も、「説明の上手い人は偏差値の高い人ではなく、人間の心に精通した人である。」と述べています。

 大臣所信に対する疑問として百田氏が指摘したのは、「所信的挨拶」という奇妙な日本語、「DX」や「GX」や「フュージョンエネルギー」などの分かりにくい日本語などですが、氏の小説は内容が面白いのはもちろんですが、その文章のわかりやすさと緻密さは特筆すべきものがあります。私が仕事で書くのはカルテくらいですが、日頃から心がけ、職員にも強調しているのは、カルテは読む人を感動させる必要はなく、大事なことは「わかりやすさ」と共に「誤解できない正確さ」、つまり「その文章を読めばただ一通りの解釈しかできない」ということです。とはいえ、自分の書いた文章を読むと「???」と思うことが少なくありません。氏のようにわかりやすい言葉で面白い物語を紡ぐ作家は稀有な存在で、21世紀を代表する作家と言っても過言ではありません。対照的なのは行政の文書で、読み手に読む気をなくさせる曖昧で冗長な文章です。また、学生時代に読んだノーベル賞作家の大江健三郎氏の「われらの狂気を生き延びる道を教えよ」は、一つの文が異常に長く、文節の関係性がわかりにくく私には理解不能でした。

 多重人格の患者を担当する精神科医の描写から医者として感じたのは、短気な自分は精神科医にはなれないということでした。一読者としては、陰気なくせに、馴れ馴れしく不愉快で、急に思いやりがあり礼儀正しいと思ったら突然暴力的になる男から、自分は多重人格者だと告白され、当初は演技と疑いながら、様々な出来事を通して多重人格者であることを確信した主人公が、その中の一人と愛し合う過程にはページをめくる手が止まりませんでした。驚愕のドンデン返しはありませんが、治療が成功して一つの人格に統合された男性の口調や仕草の中に、今は消えて二度と会えなくなった愛しい男性の痕跡を見つけるラストシーンは胸に迫るものがあります。新幹線が新庄に着く頃に読み終えた私は泣いていましたが、周りに乗客がいなかったので、「キモい老人」と思われずに済みました。中高年にもお勧めの恋愛小説です。

掲載日付:2026.02.20

Vol.308 社会保障費と社会保険料

 自民党の圧勝に終わった衆議院選挙で、大躍進を遂げた野党政党がありますが、その主要な公約は、「現役世代の社会保険料負担を軽減する」というものでした。具体的には、高齢者が優遇されている医療費の窓口負担を一律に3割にするなど、働く世代の健康保険料負担を減らすというものです。多くの政党が消費税減税を掲げていましたが、それには反対し、社会保険料を引き下げることにより、現役世代の可処分所得を増やすことで差別化したものだと思います。その政党の幹部がネットの番組で、公約を実現する具体的方法について質問された際に、しどろもどろになった挙げ句、社会保障費を7兆円減らすと答えたことが話題になっています。社会保障費は、年金・医療費・介護費などに要する費用のことで、2025年度の総額は約140兆円です。その財源は、加入者からの社会保険料と税金が主なもので、税金は国の歳出の約1/3に達し、医療費には窓口負担も含まれます。つまりこの政党の幹部である候補者は、社会保険料と社会保障費と混同していることがバレてしまったのです。

 社会保険は、健康保険・厚生年金・介護保険・雇用保険・労災保険からなり、医療費では高齢者の窓口負担が増えると、健康保険からの負担が減るので保険料を引き下げることは可能です。具体的にどれくらいの負担軽減になるかは公約にはありませんが、他の政党のある候補者は、根拠は不明でしたが、一人年間6万円程度は可能としていました。個人的には高齢者だけでなく、生活保護者も窓口負担を3割にしてもよいと思いますが、それより優先すべきなのは、個人が特定できない保険証をなくして、1枚の保険証を複数の人が使い回せないようにすることと、外国人を国民健康保険から除外することです。前者はマイナ保険証を適切に運用し、後者は諸外国同様に外国人には民間の保険への加入を義務付ければ可能です。実際に国民健康保険料の未払い率は年々増加し、全体では10%前後ですが、外国人に限定すると37%に達しています。保険料収入が単純に10%増えるとすると約2400億円の増収になります。このようにまず、現行制度で徴収できるものを優先し、その上で窓口負担も増やすべきです。

 窓口負担を増やす以外にも社会保険料負担を軽減する方法はあります。それは「無駄な医療」をやめることです。これは医療費を削減するだけでなく、国民の健康にも資することになります。医療費は年々増加し来年度は50兆円を超えることは間違いないでしょう。医療費が増加する原因は高齢化と言われていますが、医療経済学の世界では「医学の進歩」が主なものと考えられています。新しい薬や診断技術は高額なことが多く、広く用いられると医療費は高騰しますが、それによって、どれほど国民が利益を得ているかが検証されていません。さらに、10歳の子供と90歳の高齢者に同じ医療を適応すべきかということも考えなければなりません。高齢者に運転免許の返納を強要するのは高齢者差別ですが、超高齢者に血液透析を導入できなくするのは差別だと思いません。回復不能となった認知症や脳卒中の患者に経管栄養を行うことも同様です。

 限られた医療資源をどのように優先順位をつけて分配するかは政治家の役割ですが、億単位の献金を医師会から受けている政治家にできるでしょうか。製薬会社から広告費を得ているメディアも、新しい医療を等しく国民にと美辞麗句を並べて事実を報道しません。別の政党も社会保険料負担の軽減を訴えていましたが、その所属議員の多くが、国民健康保険料の負担軽減のために、兼業をすることで格安の社会保険料を収めて保険料を節約していたことが選挙前に発覚しました。違法ではありませんが、恥ずべき脱法行為です。いっそこれを保険料負担を軽減する方法として国民に公約として掲げたらどうでしょう。何とも笑えない冗談です。

掲載日付:2026.01.22

Vol.307 医師3割「不要入院をさせた」

 昨年12月28日付の日本経済新聞は、タイトルのような見出しで膨張する医療費の一因に「過剰な入院」があることを指摘しています。全国の医師約8千人(病院勤務医が約70%)を対象にした調査で、30%の医師が不要な入院をさせた経験があると答え、その複数回答の上位には、「患者や家族の希望」が約50%、「病院から病床利用率を上げるようにとの指示」が約40%、「病床利用率を上げたほうがよいと自らが判断」が約25%、などが挙がっています。

 「不要」や「過剰」の定義は、記事には示されていませんが、おそらく「結果的にはしなくても問題なかった入院」ということだと思います。例えば、何となく鳩尾あたりが痛いという高齢者が受診して、診察や検査では異常がないけれども、念のため様子を見ましょうと入院したとします。その後、何もなければ記事の言う「不要な入院」となるのではないでしょうか。ところが、同じような患者が、薬で様子を見ることになり帰宅した翌日に痛みが強くなり救急搬送され、虫垂炎(盲腸)の破裂で緊急手術を受けたあとに合併症を起こして死亡したら、不適切な対応と騒ぎ立てるはずです。適切な診断をつけ治療を行うことは昔から臨床医には大きな課題で、残念ながらいつもうまくいくとは限りません。また、同じ病状でも、患者の状態や家庭環境、交通手段などの受診に要する労力などを考えて入院適応は判断されます。

 我が国は、人口あたりの病床数が多く、平均在院日数も長く、入院のハードルが低いことは事実です。施設に入所するはずの人が入院していることもあるでしょう。ただ、介護と入院をあわせて社会保障と考えると、「入院は悪、介護は善」と考えるのは間違っています。地方に多くの施設を作るのは質に問題が生じ、むしろ中規模の病院で医療から介護まで幅広く提供するほうが効率がよい場合もあります。私はそのような病院の院長で、入院患者数は常に気にしていますが、病院の運営や経営には当たり前のことです。一般病院の約60%は赤字です。公費からの補填がない我々のような民間病院は、自前で利益を出さないと病院の新築はもちろんのこと、日々の診療を続けることもできません。金儲けを最優先する病院がないとは言いませんが、このような分析は非常に表層的で、問題を真剣に検討する記事とは思えません。

 病院経営や医療従事者の待遇改善のために、来年度は診療報酬が3%程度上がるようですが、そのつけは社会保険料の上昇や増税として跳ね返ってくるでしょう。医療費増大の対策は、不要な医療を選別して、医学の進歩に伴って変化する医療を公平に分配することです。これに必要不可欠なのが費用対効果の科学的な検証です。歴史的にも我が国はこれが苦手でしたが、科学の分野にも政治や経済の力が介入するようになり、ますます困難になっています。ある医療行為から国民がどのような利益を受け、そのためにどれくらいの費用がかかるかを検証した上で、どのような患者にそれを保険適用にするかという政策を決定することができないのです。これはコロナ騒動を見ても明らかです。多くの人が有用性を信じている癌検診、超高齢者に対する血液透析の導入、回復の見込みのない患者への経管栄養や点滴の実施など、大いに疑問を持つ医療は少なくありません。しかし現実は、一部の利益を得た人や損害を被った人を情緒的に取り上げ、医療を持ち上げたりおとしめたりして騒ぎ立てるマスコミや製薬会社や医師会に誘導されています。シビアな政策に反対する国民を説得して決断する政治家がいるでしょうか。一番難しいのは、長年ぬるま湯に浸ってきた国民が現実を理解することかもしれません。富める者と貧しい者が受ける医療が全く異なる国か、均質だけれども質の低い医療しか受けられない国かのような、悪魔の選択しかない未来を想像するのは悲観的すぎるでしょうか。


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