医療法人徳洲会 新庄徳洲会病院

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新庄徳洲会病院 院長の偏屈コラム/病院ブログ


掲載日付:2026.09.19

Vol.318 医療は贅沢品になったほうがよいのかも

 和田秀樹氏と木村盛世氏の共著(対談本)「その医者から逃げる勇気」を発売当日に購入し読みました。二人とも私とほぼ同年代で、これまでも日本の医療の問題点を、活字や映像媒体で取り上げてきました。無駄な医療や過剰な医療については、大いに共感しこのコラムで取り上げたこともあります。和田氏は精神科医、木村氏は厚労省の医系技官を勤めた公衆衛生の専門家です。二人に共通するのは、米国での勤務経験があることと、現在の医療制度を継続するのは財政的に不可能なだけでなく、弊害のほうが強いという認識を持っていることです。

 第1章では、高齢者を薬漬けにして、健康を蝕んでいる上に、無駄な医療費をかけていることを指摘しています。第2章では、健康診断について取り上げています。劣悪な労働環境に起因する健康障害が深刻で、結核も蔓延していたために、病気を早期に見つけるために20世紀前半に始まった検診が、1970年代から一般の労働者に広がり、その有用性が過大評価されて今では国民全体に広がりました。さらにメタボ健診や癌検診を行うことで、病気を早期に発見し治療することが絶対的な善として周知されました。多くの場合、その効果は検証されることが稀で、病人を増やすだけになったような気がします。高血圧の基準が下がったのも同じ現象です。癌の早期発見で得をした人は強調されますが、損をした人は取り上げられず、功罪の比較もされません。私は、少なくとも高齢者で症状のない人が癌検診を受けるメリットはないと思います。

 第3章では、科学的根拠が不十分な医療を保険適応としたために、医療費が膨大になったことを指摘しています。医学が進歩するにつれて、様々な新薬や医療機器が開発され、劇的な効果が喧伝されていますが、その中には費用対効果が悪いものが少なくありません。例えば、アルツハイマー病の治療薬には、生活習慣を改善するよりも効果があるのかとか、もともと悪性黒色腫の治療薬だったオプジーボの適応が様々な癌にも適応されるようになりましたが、末期癌への延命効果はどの程度なのかなどの疑問を木村氏は投げかけています。公的保険で保証するほどの国民の利益があるのかということです。このような現象は、既得権を守ろうとする勢力と新たに公金を搾取しようとする勢力が、政治勢力に働きかけていることが要因の一つと言えます。

 第4章では、米国のように医療を贅沢品にすることが日本の医療を救う鍵になると述べています。私は、国民皆保険を守るためには費用対効果が悪い医療を保険適応にしないことは賛成ですが、米国型の保険制度を真似ることには抵抗がありました。米国の公的保険の対象は、高齢者と低所得者だけで、それ以外は民間保険に加入するため、結果的に多くの無保険者が生じました。民間保険は費用対効果を厳密に評価するので、不適切な医療は行われないと両氏は主張しますが、利益追求が最優先になることで適切な医療を受けることまで制限されます。米国の最近の動向は把握していませんが、少なくとも十数年前までは「市場原理が医療を亡ぼす」というタイトルの本があったように、富裕層が受ける医療と貧困層が受ける医療は全く別物で、中間層は大きな病気になると貧困層に転落する社会だったはずです。確かに、労働人口が減少し、経済が停滞し、医学だけが進歩する中で、現在の国民皆保険制度を適切に維持するのは至難の業だと私も感じます。不確実な医療を保険適応からはずし、「人生100年」などという甘い台詞よりも、高齢者には穏やかに過ごせる環境を作るための医療と介護をと周知すべきです。私の世代は、若い頃に高度経済成長の恩恵を受け、未来に希望を持てました。我々は「逃げ切り世代」と今の若者からよばれるでしょう。ただ正直に言うと、この本を読んで医療が贅沢品になったほうがよいのかもしれないという気もしてきました。読みやすい本です。医療を考える材料には最適です。

掲載日付:2026.08.21

Vol.317 医療分野におけるAIやロボットの影響

 医療分野にも人工知能(AI)やロボットの導入が進み、電子カルテが普及するにつれて、画像診断や病理診断では医者の果たす役割が減少しています。診察前の問診は、方言や患者の理解力の差など難しい面はあるものの、ヒトと同等の質が担保され、患者を不快にすることが少ないという報告もあります。また、医者と患者の会話から病歴をまとめてカルテに記載する技術も実用化されようとしています。最新の知識を持ち続けることが、勉強熱心な医者でなくても可能になり、しかも幅広い分野から抽出することが容易になりました。知識量では人間はAIに立ち向かえなくなりましたが、技術も正確で疲れを知らないロボットは医師不足を補えそうです。

 狭い分野の特殊な専門家よりも、総合診療などの需要の多い部門の医者が増えるほうが、国民の利益になり、医療費の削減も容易になります。「神の手」を持つ外科医はほんの一握りで十分で、普通の手術を普通にできる外科医を養成するほうが、低コストで国民の不幸を最小限にできると思います。「紙の手」のような手の私でも、ケガやヤケドや床ずれの処置やありふれた手術ができる間は医者として働けそうです。一人当たり数千万円の税金を投入して養成した医者が、初期研修を終えると怪しげな美容外科医になることに、国民は納得しないでしょう。医者の仕事がAIやロボットに取って代わられるのは、国民にとっては喜ばしいことです。

 他の職種に目を向けると、AIやロボットに最も取って代わられやすいのは薬剤師ではないでしょうか。医者の処方をチェックするのはAIのほうが正確です。病院の薬剤師には多くの仕事がありますが、6年間の専門教育を終えたばかりの薬剤師が、現在のドラッグストアで働くのは問題です。ドラッグストアはスーパーやコンビニに代わるのではなく、診療所の役割を担うべきではないでしょうか。血圧だけでなく血糖も簡単に測定できるようになった現在、安定した高血圧や糖尿病の管理は、看護師と薬剤師が行うシステムを国が構築すれば、医療の質を落とすことなく医療費を削減することにつながる可能性は大きいはずです。逆にAIに完全に取って代わられないのは、看護や介護部門で、リハビリもそれに近く、検査やレントゲンの技師と医療機器のエンジニアはその中間的な位置でしょう。看護や介護の分野には肉体労働を軽減するロボットの導入は早急に行うべきですが、患者の個別の微妙な要求に応えることはまだまだAIには難しく、患者の期待を上回る対応をすることは不可能でしょう。リハビリの需要は今後も減ることはないので、必要性は看護部門と同じだと思います。技師の仕事は多岐にわたっているので、人間を必要とすることはなくなることはないでしょう。医者を含めてすべての職種に言えることですが、求められることをできる人材は必要とされ続けるでしょう。

 私の病院では「医師事務」という部署があり、事務職員が診断書や診療録のサマリーの一部を代行してくれるようになり、煩雑な業務が軽減して個人的には大変助かっています。診断書などの書類作成が滞らなくなるので、患者サービスにも貢献しています。このような分野にもAIが進出することは間違いなく、余剰人員が出るはずです。我々のような弱小病院ではそのパワーを別の部門に活用できるので大いに期待しています。医師事務の職員は専門教育を受け特別な資格を持っていない人が多いのですが、経験を積むと医療分野への理解は、広い範囲にわたって深くなります。私も初めは診断書を書いてもらっても、結局は自分で書き直さなければならないと思っていましたが、実際にはほとんど手直しすることはなくなりました。このような貴重な戦力は、事務作業だけでなく、診療の補助として活躍する場があるはずです。AIを人間への脅威と考える向きもありますが、人材確保に悩むところでは人間の活躍の場が広がる可能性を感じます。

掲載日付:2026.07.23

Vol.316 医療と介護の再統合

 6月28日付の日本経済新聞は一面トップで、減少傾向が続いていた自宅で最期を迎える在宅死の割合が、2005年から増加に転じて12%から24年には16%と4ポイント増加していると報じています。顕著なのは老人ホームで、同時期に2%から12%に跳ね上がっています。逆に病院は80%から64%に低下しています。ただ、多死社会になり総死亡者が160万人を超えたため、実数は横ばいです。この流れは、衰えの目立つ高齢者を、入院医療から訪問や施設による介護へ移行させた政策に依るところが大きいと考えます。ただ記事にもある通り、在宅死の割合に地域差が大きく、24年の在宅での看取り率は、最高の神奈川が26.8%であるのに対して、最低の高知は4.9%と5倍以上の差があります。全体的に都市部が高く、地方が低い傾向が明確です。

 この事実は、高齢者を自宅で看取る体制を地方では作りにくいことを示しています。地方では患者も医療や介護の従事者も数が少なく、自宅と病院や介護施設の距離が離れているということが大きな要因というのが、地方で20年以上関わってきた私の感想です。都会では自転車で15分の圏内に訪問診療を複数集められますが、地方では1件に車で片道30分以上を要することが珍しくなく、当地のような豪雪地帯ではそれが1時間になることもあります。このような異なる環境で、同じルールを適用して、同じレベルの医療や介護を求めるのは無理です。経営面でも、都会では高齢者の数が多く、医療と介護を棲み分けても経営が成り立ちますが、地方では人口減少が進み、高齢化率は高くとも、高齢者数はすでに減少し(当地も例外ではありません)、かつて造られた民間の介護施設は、経営困難のため減少し始めています。

 2000年に制定された介護保険制度を期に、それまでも増加傾向だった老人保健施設が介護老人保健施設と名称を変えて雨後の筍のように一気に増えた記憶があります。寝たきりの高齢者をまとめて収容し、質の低い医療や介護を提供し、利益を出していたいわゆる老人病院に取って代わった印象があります。この制度改定以降、医療と介護を切り離す流れが確立したことは間違いありません。国民医療費に介護費用が含まれなくなったため、結果的には医療費も削減されましたが、現在では医療費50兆円・介護費12兆となり、合計金額は増加の一途です。今後は少なくとも地方では医療と介護を再び統合したほうが、質も向上し費用も抑制できるのでないかというのが私の考えです。そのためには、病院と様々な介護施設(介護老人保健施設や特別養護老人ホームなど)が物理的に隣接もしくは同一敷地内にあり、医者が簡単に行き来できることが望ましいと考えます。そのようにすることで、患者や医者の移動する負担は大幅に軽減し、同じ患者を継続して同じ医者が診ることも可能になります。救急搬送などの緊急事態も手間が軽減するので、患者や家族だけでなく、医療側や行政側にも大きな利益があります。

 そのためには中規模の病院と施設が統合し、ある程度の急性期医療から、リハビリを含めて慢性期の医療と介護のための設備と人員を確保しなければならないので、民間では経営面にもスタッフの確保にも多くの困難を伴い、自治体では赤字を出すことには国の支援が必要です。高齢者に対しては、無駄な検査や治療を省き、軽度の高血圧・糖尿病・脂質異常症に対しては、ドラッグストアに看護師と薬剤師を配置して医療機関の負担を軽減することも選択肢です。これには日本医師会の反発は必至で、政治家が国民に説明して官僚が実行できるかは疑問です。徳洲会のキャッチフレーズは、「いつでも、どこでも、誰もが最善の医療を」ですが、国民が公平な医療を受けるためには、「ホドホドの」医療をという方向を目指すのが現実的です。まず、高度成長の恩恵を受けた我々高齢者が、医療への幻想を捨てなければなりません。


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