医療法人徳洲会 新庄徳洲会病院

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新庄徳洲会病院 院長の偏屈コラム/病院ブログ


掲載日付:2020.07.30

Vol.195 「命の選別」発言に思う、その2

 東日本大震災後に点滴の在庫が少なくなり、最悪の場合、点滴を減らす患者を選別しなければならないことを覚悟しました。治療を継続したらどれくらい生きられるかを主治医に確認して、末期癌患者と認知症で食事が摂れず経管栄養も受けていない患者を最初に選び、予後が同程度であれば高齢の患者からと決めましたが、幸いなことに命を選別せずに済みました。

 大規模災害時には、トリアージと呼ばれる「命の選別」が必要です。その語源は「選別」を意味するフランス語のトリアージュから来ていると言われ、以下の4つ色―黒;死亡もしくは蘇生の見込みなし、赤;重篤で一刻も早い処置を要する、黄;重篤ではないが処置が必要、緑;軽症または処置が不要―に分類します。黒に分類された人でも処置を行えばある程度は生きられる人はいるかもしれず、医者の判断が間違っている可能性もあります。この作業は、医療本来の「すべての患者を救う」精神に反するだけでなく、「見殺し」にすることでもあります。その目的が、限られた医療資源で少しでも多くの人の命を救うためであるから許容されるのです。

 医学が進歩し、高齢化率が世界一になり、医療費が増え続ける我が国では、慢性期医療を含めた日常の医療にもこの考え方が必要になりつつあります。効果の乏しい医療行為は保険診療から除外すべきですが、総合感冒薬と呼ばれる風邪薬や湿布薬も、その気配はありません。効果が証明されていない癌検診にも公費で助成されています。検診は自費で行えばよいかというと、医療従事者や高額医療機器が浪費されるという問題があります。高齢の親の生体移植で、子供世代がドナーになってもよいのでしょうか。血液透析をしないと生命維持ができなくなったり、認知症で食事を摂らなくなった高齢者をどこまで延命するのかは、簡単に決められない問題ですが、議論を先送りにしてよいのでしょうか。医療費以上に人間の尊厳に関わる問題も含まれています。

 我が国は、高齢者にどこまで医療を提供するかを最も真剣に考えなければならない国のはずです。政治家だけで基準を決めることは危険ですが、議論することを封殺するのはそれと同じ極端な考え方です。自己決定権が解決の鍵という主張もありますが、多くの人は自分の最期について考えたこともなく、考えていても突然意識がなくなれば伝えることはできません。一番の問題は、病気ごとに延命治療を理解して決断することは、容易ではないということです。末期癌は比較的決めやすいかもしれませんが、安楽死問題で話題の筋萎縮性側索硬化症(ALS)などの神経難病は恐ろしく困難だと思います。多くの場合、家族と医療者が相談しているのですが、政治家が国民に甘くない現実を訴えることには意味があると思います。

 4月に里帰り出産のために岩手県に帰省した妊婦が破水し、新型コロナ対策のため帰省後間もないという理由で基幹病院である2つの県立病院から救急搬送を断られました。幸い、遠方の私立病院で無事出産でき、感染もしていませんでした。病院の感染対策も問題ですが、何とか受け入れようという医療者の矜持も問われます。問題が発生したら、マスコミから騒がれるだけでなく、司法からも責任を問われる恐怖を多くの医療者が感じていますが、これは国民のゼロリスク信仰が生み出したものです。医療を提供する側にも受ける側にも覚悟が必要です。若者が希望を持てる社会であるためには、高齢者の延命願望はほどほどでなければならないと思います。岩手県出身の歌人石川啄木の「一握の砂」に「こころよく 我にはたらく 仕事あれ それを仕遂げて 死なむと思ふ」という歌があります。こんな気持で仕事ができる社会であればと願います。

掲載日付:2020.07.22

Vol.194 「命の選別」発言に思う

 昨年の参議院議員選挙でれいわ新選組から立候補し落選した大西つねき氏が、配信動画での発言を糾弾され党から除籍処分を受けました。動画では少子高齢化が著しい我が国では、高齢者の医療や介護の場面で、様々な医療資源を平等に配分することができなくなることが、新型コロナ騒ぎで明らかになった、政治家は「命の選別」から目を背けてはいけないという至極まっとうな発言でした。これに対して、「命の選別とは何事か」、「優生思想である」、「障害者差別である」など多数の批判が党内外から浴びせられました。山本太郎代表も弱者に寄り添う党の根幹となる考えに反し看過できないとコメントし、党内の協議で除籍が決定されました。

 そもそも彼は高齢者は生きる資格がないとも、非生産的であるとも言っていません。財政面はさておき医療資源や医療従事者が枯渇することが予想される現代では、それを平等に分配することができなくなることが予想され、公平に分配するためには優先順位をつけなければならず、その際には年齢が重要になるということを言っただけです。これのどこが優生思想でしょうか。優生思想とは、優れた遺伝的性質を優先的に残すために、劣った性質は排除するという考え方で、歴史的にはヒトラーが有名ですが、我が国でもハンセン病者に不妊施術や堕胎を強制し、隔離が医学的に不要とわかった後も続けたことは分かりやすい例えです。

 大西氏は反緊縮財政を掲げ、どんどん通貨を発行すべきだと以前から主張しており、医療費が不足するから高齢者を見捨てろとは言っていません。彼の経済政策が理解できない私は、医療や介護にかかるコストの問題も重要と考えます。金の問題も重視している私は、ある意味で彼よりひどい考え方かもしれません。マスコミはこのような問題は避けることが多く、取り上げたとしても「真剣な議論が望まれます」というような無責任な言葉で問題を先送りにするだけです。議論するのが政治家の責任であるという彼の態度は誠実だと思います。

 日本よりも新型コロナが医療への深刻な負荷となった欧米では、集中治療室の入室制限や、人工呼吸器などの医療機器の使用制限が行われ、医療機関や公的機関が「80歳以上の集中治療室への入室禁止」を打ち出しました。高名な医学雑誌では、米国の研究者が医療設備の配分基準を提示しています。それによると、人工呼吸器をつけるのは若い人と医療従事者を優先する、医療従事者を優先的に救うのは命の価値が高いからではなく、助かったら人の命を助けることができるからです。回復の見込みが同じならくじ引きもありで、見込みが薄い患者の人工呼吸を外して他の助かりそうな患者に回すことも正当化されるというような、日本では考えられないようなことまで示されています。妥当性はさておき、このような議論ができる土壌は見習うべきです。

 多くの政治家は、どの世代からも票を獲得するために、甘いことばかりを公約として掲げ、多くの高級官僚は政治家に面従腹背で自分の老後までの生活設計を優先し、そして多くの国民は諦めるかそうでなければ都合の悪いことは自分以外の誰かのせいにします。我々に欠けているのは「覚悟」です。生きることを考えるのは同時に死ぬことを考えることです。覚悟なしでも生きていけるのは、若者が多く経済が成長し続けた時代の幻想です。世界一の高齢化社会である日本で優先順位を決めるなら、年齢が重要な位置を占めるのは当然です。それとも経済力や地位で選別される方がよいのですか。まさか自分は人間性が認められて生き残れると思っているのですか。

 「命の選別」が誰の仕事であるかについては次回で考えます。

掲載日付:2020.07.17

Vol.193 マスクの地位は向上したけれど

 一時は在庫が底をつきそうだった医療用マスクも、値段は以前の数倍になったものの、ようやく一息つける状態になりました。春先までは自宅近くのドラッグストアには、マスクを買うために早朝から長蛇の列もできていました。中国に依存しすぎて、国内の生産能力がなかったことが大きな要因ですが、今回のコロナ騒ぎで世界的にマスクの評価が180度とは言いませんが、160度くらい変わり、需要が急増したことも関係しているようです。マスクには、咳やくしゃみによる飛沫を防ぎ、乾燥した冬には保湿効果もあり、自分の鼻や口に触れないので接触感染を抑える働きもありますが、一般社会ではアジア人特有の習慣で、欧米では奇異に見られていました。実際、N95という特殊な医療用マスク以外は、ウイルス感染を防ぐ効果はないというのが医療界の常識でしたが、最近では、通常の不織布製の医療用マスクにも新型コロナの感染予防効果があると世界保健機関(WHO)も認めるようになりました。

 これは香港大学の実験結果の影響が強いようです。新型コロナウイルスに感染させたハムスターを入れたケージを、健康なハムスターのケージの隣に設置し、感染したハムスターの側から健康な側に風を送ったところ、1週間以内に15匹中10匹(66.7%)がウイルスに感染しました。ところが、感染した側のケージに医療用マスクで作った障壁を取り付けると感染率は16.7%に、健康な側に付けても33.3%に低下しました。つまり患者がマスクをする効果は大きい(1/4に減少)だけでなく、健康人もマスクをすると感染しにくい(1/2に減少)ということになりました。さらに、マスクありの状態で感染したハムスターは、マスクなしに比べ体内のウイルス量が少なく、感染しても重症化や死亡リスクは低くなる可能性もあると結論しています。

 これまで非感染者がマスクをすることで、カゼやインフルエンザが予防できるという研究報告はなく、マスクは感染者がつけることで、周囲への広がりを多少防ぐことができる程度と考えられていましたが、今回の実験でそれがひっくり返りました。今では多くの国で、感染者のいない状況でもマスクの使用が推奨されるという手のひら返しのような方針転換が起こったのです。その結果、各国でマスクの需要が急増し、品不足と価格高騰が深刻化しました。

 我が国でも、マスクをすればソーシャルディスタンスは不要と言うウイルス学者もいますが、私は今でもマスクの効果は限定的だと思っています。それは適切なマスクを適切なタイミングで適切につけることが容易ではないからです。まず、布マスクでは今回の実験のような効果は証明されておらず、目の粗さを考えると到底期待できないでしょう。次に、消費量増加による品不足と価格上昇によって、再使用という不適切な使用法が増えることが予想されます。実際、不足したときは私も節約のため台所洗剤で洗って再利用していました(看護職員は患者との距離が近くなることが医者よりも圧倒的に多いので、今までどおり適切な使用を指示していましたが…)。更に、使用方法も問題です。不織布製のマスクで鼻から顎までを隙間なく覆い続けることはそんなに簡単ではありません。顎マスクは論外で、鼻の穴が出るのもNGですが、特に鼻と頬の隙間をなくすことは難しいと思います。実際に安倍首相を見ても、マスクは布製で小さすぎます。高温多湿の季節には、マスクをすると息苦しくなり、熱中症の危険も増すのでなおのことです。人混みや不特定多数の人と会話する時など、適切につけないといけない状況を判断して実行することが重要ですが、その都度新たに使い捨てのマスクをつけることは簡単ではありません。私のようないい加減な人や手技に自信がない人は、そういう環境を避けるほうが賢明かもしれません。


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