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院長の偏屈コラム/病院ブログ 院長の
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新庄徳洲会病院 院長の偏屈コラム/病院ブログ


掲載日付:2023.03.15

Vol.260 将棋連盟から学ぶ?

 藤井聡太五冠の超人的な活躍で盛り上がっている将棋界ですが、彼が登場する直前にはコンピュータソフト使用疑惑で有名棋士がタイトル挑戦権を剥奪され、その後に無実が証明されるという前代未聞の不祥事がありました。昨年2月に日本将棋連盟は、マスク着用の義務化を求める棋士の声を受けて、〈対局者は、対局中は一時的な場合を除き、マスクを着用しなければならない。この規定に反したときは反則負けとする。〉という臨時対局規定を施行しました。

 日浦市郎八段は、対局時にマスクを着けていませんでしたが、臨時対局規定が施行されてからは鼻出しマスクで対局し、特に問題視されていませんでした。ところが今年の1月の対局で、対局相手から「マスクを鼻まで上げてもらえますか」と言われ、「そんなルールはないです」と断ったところ、相手から依頼された立会人から再度マスクを鼻まで上げるように要請されましたが、ルールにないと拒否しました。さらに将棋連盟の理事(棋士)から、「鼻を出しているのはマスクをしていないのと同じで、今後は『マスクで鼻までふさぐ』といった規定も盛り込むつもりだ」と言われましたが、それでも拒否したため反則負けとなりました。その後の2局も同様に反則負けとなり、最終的には3ヶ月の対局停止処分を受けました。

 日浦八段は日頃からマスクの感染予防効果を疑問視し、思考能力が低下すると感じているからこのような行動をとったと述べています。対局中は密集しない環境で、会話をすることもほとんどなく、マスクの必要性が最も低い環境と言えます。現状でのマスク使用はクレーム対策の意味が強いと思います。将棋連盟としては、「鼻出し」は想定していなかったのでしょうが、10ヶ月以上も放置していたことは事実です。この処分には賛否がありますが、いきなり反則負けとし、さらには対局停止という収入源を絶たれる厳しい処分を下すことは間違っていると思います。

 将棋と似たゲームのチェス競技で、マスクの影響を調べた研究論文が、昨年10月に米国科学アカデミーから出ました。世界中でコロナ騒動中に行われた8531人による45272ゲームを対象に、300万手の評価値を取得し、各プレーヤーのゲームごとの平均的な指し手の質を数値化しました。チェスは、将棋よりも早く人工知能が人間よりも強くなったので、一手一手の質について客観的に判定することが可能です。分析対象は217の国際トーナメントで、そのうち71の大会でマスク着用義務がありました。その結果は、マスクを着用すると、最善手を指す割合が29%から6ポイント低下しました。つまり指し手の質が2割以上も低下するということになりますが、その傾向はトッププレーヤーほど強くなりました。将棋に限らず、知的な作業には同様の影響があると考えてもよさそうです。日浦八段の感じていたことは妥当と言えます。

 2月9日に政府はマスクの緩和を発表しました。日本将棋連盟が日浦八段の対局停止処分を発表したのは、その4日後の2月13日でしたが、皮肉なことに、2月28日には臨時対局規定を3月13日付で廃止するとも発表しました。日浦八段はお気の毒としか言えません。私は棋士は天才だと思っていますが、冤罪事件のお粗末な対応を見ると、彼らも並の人間であり、むしろ天才だからこそ組織の運営には向いていないように見えました。連盟は現役の棋士が会長や多くの理事として運営しており、今回のような事件に対しても、棋士である理事が緊急対応するのはかなり無理があります。藤井五冠の大活躍のおかげで追い風が吹いてしまい、組織改革をするチャンスを逃したようにさえ感じます。大きくない組織ですが、私もリーダーの一人として、広い視野を持ち、自分の頭で考えて行動し、リスクを引き受け責任を取る覚悟を持たねばと思います。

掲載日付:2023.02.22

Vol.259 死亡者への一時金支給から考える

 2月10日に、厚生労働省の分科会は、新型コロナワクチンの接種後に死亡した59~89歳の男女10人について、「因果関係が否定できない」として死亡一時金などの支給を決定しました。死亡例に国の救済制度適用が認められたのは、昨年7月から累計30人になります。接種時期が資料からはわかりませんが、昨年7月の初報告例が死後1年以上経過していたはずなので、今回の報告例もかなり以前のものと考えられます。昨年12月時点でのワクチン接種後の死亡例は1950件を超えているので、救済件数はさらに増加することが予想されます。ただ、「因果関係が否定できない」というのは、救済のための分類であり、副反応の検討部会では、ほとんどすべての死亡例が「情報不足等によりワクチンと死亡との因果関係が評価できないもの」に分類されています。つまり、因果関係は評価できないが、救済のために認めるということです。

 You Tuberの野中しんすけ氏が、他のワクチン救済制度の結果を調べていますが、これが非常に興味深いのです。厚生労働省はホームページで、「予防接種健康被害救済制度の認定者数」を発表しています。これによると、1977年2月から2021年12月までの約45年間で、死亡一時金が支払われたのは、すべての予防接種で151件です。最も多いのは天然痘の42件で、ついでインフルエンザ25件、三種混合20件、風疹14件、経口ポリオ12件、日本脳炎11件と続きます。ワクチン全体では、年平均3.4件、新型コロナに似た感染症と言えるインフルエンザは0.6件です。新型コロナは約半年で30件も認定されました。単純に換算すると、すべてのワクチンの十数倍、インフルエンザの100倍に相当しますが、これはどう考えたらよいのでしょう。

 新型コロナワクチンは、安全だが多くの国民が接種したためにこれほどの被害が出たということでしょうか。それとも新型コロナという病気が社会に与えた影響が大きいので、厳密な因果関係の検証よりも被害の救済を優先したから増えたということでしょうか。常識的には、これまでの予防接種よりもかなり危険と考えるのが自然ではないでしょうか。百歩譲って、ワクチンには必ずリスクはあるのだからこの程度の被害は受容すべきであると言うのであればまだわかりますが、そのようなコメントは政府からも専門家からもありません。そもそもこれだけのリスクを許容しないといけないほど新型コロナは恐ろしい病気だったのでしょうか。OECD38カ国中、我が国の人口あたりの死亡者は今でも37番目です。社会生活や経済活動がこれほど制限されなければならないほどの感染症だったとは思えません。このような政策をとったからこの程度の被害で済んだという考え方を否定することは非常に難しいとは思いますが、釈然としません。

 元来、我が国はワクチンに対する警戒心が強い国で、麻疹(はしか)などの有用なワクチンを受ける割合が少ない国でしたが、今回は国を挙げて接種を進めています。また、モデルナ社が日本国内にワクチンの生産拠点を整備する計画も進んでおり、今後はコロナ以外のウイルスに対するmRNAワクチンの製造を計画しているはずです。新型コロナワクチンに対しては、すでに2兆4000億円が国費から外国企業に支払われ、しかもその半分以上が未使用の状態です。ワクチン行政は、効果が危険性を上回っているかどうかを最重要視しなければなりません。ある免疫学の教科書には、よいワクチンの条件として以下のような条件が挙げられています。①安全性が高い(ワクチン自体で病気になったり死ぬことがない)こと、②有効である(発病を防ぐ)こと、③持続性がある(効果が数年間続く)こと、④中和抗体を誘導すること、⑤実用的である(低価格、生物学的に安定、簡単に投与できる、副作用が少ない)こと。果たして今回のワクチンは、この条件をどれだけ満たしているでしょうか。

掲載日付:2023.02.07

Vol.258 卒業式のマスク

 2月2日の衆院予算委員会で、今春の卒業式でのマスクの取り扱いを巡って、永岡桂子文部科学相が、家庭の判断で外しての参加が可能と答弁しましたが、その後、「現時点では決めていない。速やかに検討する」と軌道修正したという報道が話題になっています。未だにこのようなことが話題になるのは情けないと思いますが、メディアの論調はマスクを外すことは時期尚早、家庭の判断に任せることは無責任などと批判的です。

 遅きに失したとはいえ、5月8日にようやく2類相当から5類への引き下げが実施されようとしていますが、そもそもマスク着用は感染症法上の分類とは無関係で、わが国ではこれまで一度も義務化されていません。政府のマスクに対する最新の公式見解は、屋外では原則不要、屋内では「距離が確保でき、会話をほとんど行わない場合をのぞき着用をお願いする」というものです。つまり距離が確保できて会話をほとんどしない場合は不要であるということです。卒業式では大声を出すことはなく、距離を保つことも可能です。それを踏まえて、最終的には学校や教育委員会が判断し、保護者と本人で決定すればよいのではないでしょうか。

 壇上で話す人は飛沫を出すので、そのときはマスクをすればよいかもしれませんが、国権の最高機関である国会では、登壇者が発言するときだけマスクを外すという意味不明の行動をとっています。野次を飛ばす議員の飛沫が感染力が最強なのでしょうか。校歌や卒業式の歌を歌うときも、NHKの学校コンクールを真似る必要はなく、着けたい人だけ着ければよいのです。いまだに衆議院ではアクリル板も使用しているのは、呆れてものが言えません。マスク着用は個々の判断に任せるという当初の文科相の発言は間違っていませんが、その後の責任回避発言は問題です。政府がなすべきことは、2類相当の解除に先立って、マスク着用の自由化を明言した上で実行し、アクリル板を追放することです。

 今春の卒業生は、中学でも高校でも入学以来ずっとマスクを始めとする理不尽とも言える厳しい規制を受けてきました。その長期的な悪影響は、短期的な利益を遥かに超えるものだと危惧しています。マスクをしたい人はして、したくない人はしないで問題ありません。そんな卒業式には出たくないという人は、生徒であれ保護者であれ教師であれ、出なければよいだけです。卒業式を休んでも卒業できないことはないはずです。

 今、日本の人口あたりの陽性者の数は世界のトップです。もはや一人ひとりが生活習慣に気をつけて、新型コロナウイルスとは共存するしか道はないのです。東アジア諸国の感染対策は旧態依然の傾向が強いのですが、韓国では学校でのマスク着用は自由化されたようです。政府や自治体や学校管理者などの責任ある立場の人が、より上の立場の人の指導を望むのは、結局のところ自分で責任を取りたくないだけだと思えます。マスク無しで感染が広がっても、マスク着用義務化で騒ぎが起きても、少なくとも自分には責任はないと言いたいのではないでしょうか。保護者も同じです。子供の責任は一義的には本人と親が負うべきものです。その行動が正しいかどうかは自ら調べた上で決断し責任をとらなければなりません。私は学校にも自治体にも国にも命令はしてほしくありません。責任回避社会はいずれ独裁国の奴隷にされるような気がします。私は子どもたちの入学式にも卒業式にも一度も出たことのない不届きな親ですが、もうすぐ卒業式を迎える子供には、「咳やくしゃみが出ない状況で、花粉症もないのなら、マスクはほとんど意味はないが、つけたければつければよい。自分ならつけないけど。」と伝えるつもりです。


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