医療法人徳洲会 新庄徳洲会病院

menu open

院長の偏屈コラム/病院ブログ 院長の
偏屈コラム
ブログトップ

新庄徳洲会病院 院長の偏屈コラム/病院ブログ


掲載日付:2022.06.16

Vol.249 マスクと熱中症発生にエビデンスは必要か

 6月に入って、学校で児童生徒が運動中に熱中症になり、救急搬送されたという報道が増えました。中には重症者もいるようで、マスクを付けていたことが関係しているのではないかという意見もあります。実際、かなりの児童生徒はマスクを着用していたようです。学校側は着用しなくてもよいと指導しているが、児童生徒の意志なので外すことを強制できないという見解のようです。都内在住のユーチューバーが近くの中学校で行われている運動会で、生徒のマスク着用率がほぼ100%だったため、学校に問い合わせたところ、外すように指導しても生徒が不安で外さないと回答したという動画をアップしていました。

 世界保健機関(WHO)は運動中のマスクは禁止すべきという立場です。6月段階での政府のマスクに対する公式見解は、「特に屋外での、他者と身体的距離が確保されているような場面、あるいは身体的距離が確保できなくても会話をほとんど行わない場面では、マスクの着用の必要がない」というもので、特に体育の授業では必要ないとしています。しかし現実には、未だに多くの児童生徒が着用して運動しています。学校関係者は自分は指示どおりにやっているので責任はないということなのでしょう。確かに、生徒の意志を無視してマスクを外させて陽性になったら、保護者から批判されることは十分に考えられます。不都合な事態に対して、「自分には責任はない」ということを最優先する感覚が社会に蔓延しているようです。取り返しがつかない事態では、本当の意味で責任を取ることなどできません。だからこそなおさら、多くの人が責任を引き受ける社会のほうが住みごこちはよいはずです。

 ある救急専門医が自らのブログで、マスクと熱中症のリスクについて、①マスクはそこまで熱中症リスクを高めないのではないか、②感染リスクを考えて、マスクが必要なら着用し、不要なら外したらよい、③感染リスクが低そうな環境で、暑くて不快ならマスクを外したらよいのではと述べています。彼が言うように、マスクをつけて運動すると、心拍数・呼吸数・血中二酸化炭素濃度が上昇しますが、マスクと熱中症に関してはエビデンスは乏しいと思います。質の高いエビデンスを得るためには、大規模校で、白組にはマスク、紅組にはマスクなしで、運動会をして、熱中症の発生頻度を比較する実験が最低でも必要と思いますが、そこまでしてエビデンスを得るメリットはあるのでしょうか。もともとマスクを着用する習慣がない欧米では、このような研究は行われていないでしょうし、リスクを考えると我が国でも試みるべきではないと思います。現在の感染率と重症化率を考えると、運動時のマスク着用は論外だと思います。

 子供がマスクを着用し続けることから言語や精神の発達に悪影響が出る可能性も、エビデンスを得るためには大規模な調査を長期間続けなければなりませんが、その結果、悪影響ありとなったときには取り返しが付きません。有益な研究でもリスクが大きければ、質の高いエビデンスは求めないほうがよいのです。コロナ騒動が始まってから、「私は、思いつきや自分の経験ではなく、エビデンスに基づいて発言をしている」と言う人が増えました。専門家はエビデンスにこだわって議論してもよいのでしょうが、政治家は実務者であり、利益と不利益を比較して決定するのが仕事です。その意味では、学校でのマスク着用は、例外を提示して、原則としてすべて禁止すべきです。当然、より熱中症になりやすい高齢者が自宅内で着用することも同様です。かつてマスクを半ば強制したのと同等の圧力をかけるのが政治家やマスコミの責任ではないでしょうか。首相は一刻も早くコロナ収束宣言を出し、マスクを付ける特別な条件を提示し、それ以外は外すように呼びかけないと、従順で同調圧力に弱い我々の行動は変わりそうにありません。

掲載日付:2022.06.01

Vol.248 単純なミス? 意図的な改竄?

 新型コロナに関する地上波のテレビニュースは偏りが強いと思いますが、地方局の中には公平な立場で報道しているところがあります。名古屋にある中部日本放送の大石邦彦氏の番組は、事実に基づいた分析をしているので注目していましたが、新型コロナの新規陽性者とワクチンの関係について興味深い話題を発信していました。週に一度の頻度で厚労省の新型コロナウイルス感染症対策アドバイザリーボードが発表している数字をもとにして、ワクチンの感染予防効果が大きいことを強調し接種を勧めている閣僚経験者や県知事がいますが、その数字が突然修正されたというニュースです。名古屋大学の小島勢二名誉教授が、オミクロン変異後、世界的にはワクチンの効果が低下しているのに、我が国では相変わらず高いレベルを維持していることに疑問を感じ、厚労省に問い合わせたところ、捏造とも言える事実が発覚したのです。

 PCR検査の陽性者が出ると、医療機関からワクチンの接種歴が、ワクチンの種類と接種日と共に報告されます。その際に、接種したけれど接種日まではわからない人が相当数いるため、接種日未記入者が発生します。この接種日不明者を厚労省は未接種群に分類していました。その間は、未接種群の人口あたりの陽性者数は接種済群の2〜3倍になり、特に80歳以上では10倍以上になりました。ところがその事実が発覚後の4月11日以降のデータではこれを接種不明群に分類したため、未接種群の陽性者は半減し、接種済群との差が一気に縮まり、年代によっては逆転するという事態になったのです。数字を普通に見れば、80歳以上は数倍の差がありますが、その他は同等と言える数字です。しかも常識的には接種日不明の多くは接種済群に入る人が多いはずなので、接種済群はもっと増えてこの差はさらに小さくなると考えられます。

 ワクチンの効果を判定するのはそれほど簡単ではありません。接種日と陽性判明の間隔はもともと検討対象になっていないので、4月10日以前の結果からワクチンが有効であると結論するのは早計と思っていました。4月11日以降のデータを見てもワクチンは無効であると言いきるつもりはありませんが、ワクチンの有効性が高いとは言えず、これを根拠として若者にもワクチン接種を急がせるのは明らかに誤りです。首相は動画でしきりに早く射つことが大事と訴えています。私は、ワクチンはある程度有効だと思います。ただ、ワクチンの副作用の評価が不明確であり、新型コロナ自体の被害と新型コロナ対策の被害の大きさを比べると、子供や若者はもちろん、高齢者にも接種を勧める気にはなりません。私の両親は他界しましたが、後期高齢者を目前にした姉には止めたほうがよいと言いました。私もこれ以上は受けません。

 ワクチンが有効であると思わせようとするこのような恣意的とも思えるやり方は、国民を欺くものであり、結局は信頼を失うことになります。前内閣のワクチン担当大臣は、今回のことを単純なミスで、やはりワクチンは有効だと強調していますが、これをデータの捏造であると批判されたら彼はどう反論するのでしょうか。厚労省が信頼を得るためには、ホームページで分類が変更されたと小さな字で説明することではなく、何が間違いだったのかをきちんと説明し、そのためにどのような結果を招いたかを謝罪すべきです。もしこのようなことを民間の製薬会社がやっていたなら、彼らは厳しく糾弾された上で、製品は保険適応から除外され、社長は謝罪会見に追い込まれるのではないでしょうか。また、東京のキー局でこのことを取り上げるメディアがないということは、事実を国民に伝える媒介(メディア)としての機能が失われているということではないでしょうか。現行のワクチンはこのままでは、4億回分以上が破棄され、1兆円以上が無駄になりそうですが、授業料と思って破棄したほうがよいと思います。

掲載日付:2022.05.19

Vol.247 怒っていいとも、若者よ

 新型コロナ関連死は、高齢者が占める割合が非常に高く、70歳以上が80%以上、80歳以上が60%以上を占め、平均年齢は第4波の東京のデータでは82.2歳ですが、おそらくオミクロン株以降さらに高くなっているはずで、ほぼ日本人の平均寿命と同等と考えてよいでしょう。つまり新型コロナで亡くなった人は、「寿命が来た」と言える人が多いのです。このような言い方をすると、高齢者差別と批判されるでしょうが、高齢者から死んでいく社会のほうが健全あることは間違いありません。本来、死はすべての人に訪れる身近なものでしたが、戦後の経済成長による食糧事情の改善や医療の進歩により、遠く離れた忌み嫌うものになりました。高齢者でも、人が死ぬのは、何か間違ったことが起こっていると勘違いされることが少なくありません。死は生と対立するものではなく、生の最後の一部であり、死をもって生が完結するのです。

 今回のコロナ騒動でも、行動制限により身体機能や認知機能が低下し、それにより寝たきりになったり寿命を縮めた高齢者もいるでしょうが、一番の被害者は小さな子供を含む若者世代だと思います。コロナ騒動で自殺者は増加に転じ、2020年は前年に比べて約4.5%増加しましたが、小中高校生は31%も増えています。これは1974年の調査開始以来、最多です。半ば強制されたマスク生活が3年目になり、小児では言葉の発達や表情を読む力が遅れ、コミュニケーション能力の低下も危惧されています。小学生が、外出時にマスクを忘れたと不安になってしまうという話を友人から聞きました。今どきの従順な生徒は、マスク着用に反抗さえできないのではと心配しています。高温多湿の季節に子供たちがマスクをすることに抵抗しないほうが異常です。

 昨年の出生者数は84万人台ですが、1947−49年には年間260万人以上3年間合計で800万人以上にもなり「団塊の世代」と呼ばれています。この世代は数による影響力が強く、高度経済成長時代には資本主義の弊害を正すために暴力的な学生運動も起こしました。時代を変えると燃え上がった炎は急速に衰え社会に順応し、その後の経済成長の恩恵を十分に受け、今や後期高齢者になろうとしています。私はその一世代下で、熱の冷めた「シラケ世代」と呼ばれましたが、団塊の世代同様に経済成長の恩恵を受けています。我々以上の世代は年金も保障され、投票数が多いので政治家への影響力を持ち続けています。

 その一方、若者は豊かな時代に生まれましたが、衰退していく日本社会の中で希望を見出すことができないように見えます。おとなしく現状を受け入れる若者は、このままでは高齢者の露払いや他国の奴隷となってしまうのでと思うのは取り越し苦労でしょうか。団塊の世代のような暴力的活動は論外ですが、新しい時代を切り開くのは若者です。その意味で、成人年齢や選挙権が18歳に引き下げられたことは評価します。責任も要求されますが、社会を変える力を得やすくなります。問題は若者の人数の少なさです。若者は一人二票の権利があってもよいと思いますが、それは無理でしょう。とすると、やはり高齢者が若者のための政策を推し進める政治家に投票するしかありません。さんざん恩恵を受けてきた高齢者が、自分のためにではなく、若者のことを考える政治家に投票することが、30年後の日本をよくするのです。若者が選挙に出ることも選択肢ですが、泡沫候補の乱立を防ぐためか、日本は世界的に供託金が突出して高いのでそう簡単ではありません。二世議員や多数の国民に迎合する政策を掲げる政党の言いなりになる人しか候補者になれません。さらに、小選挙区制では投票したい候補者がいないことが常態化しています。若者はもっと怒っていいのです。「書を捨てよ、町へ出よう」という寺山修司の戯曲がありますが、手始めに「マスクを捨てよ、町に出よう」と言いたい気持ちです。


menu close

スマートフォン用メニュー