医療法人徳洲会 新庄徳洲会病院

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院長の偏屈コラム/病院ブログ 院長の
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新庄徳洲会病院 院長の偏屈コラム/病院ブログ


掲載日付:2025.10.28

Vol.303 お尻は洗ってほしいと思っているでしょうか

 「ウォシュレット」で知られる温水洗浄便座は、医療・福祉向けに米国で開発され、1964年に東洋陶器(現TOTO)が輸入しましたが、あまり広まりませんでした。1967年に伊奈製陶(現LIXIL)が、日本人に合わせた国産品を発売しましたが、広く普及したのは1980年に東洋陶器が発売したウォシュレットです。1982年に始まったテレビCMで用いた「お尻だって洗ってほしい」というキャッチコピーが大当たりして、温水洗浄便座の代名詞となり、今では普及率が80%を超えています。由来は、レッツ・ウォッシュ(Let's Wash、洗おう!)だそうです。

 ここから尾籠(ビロウ)な話になりますがお許しください。数年前に妻との口論が、「誰がアンタのウンコの付いたパンツを洗っていると思ってるの!」とトドメを刺され終了したことがあります。入浴時に自らパンツを確認し深く反省した私は妻に謝罪の気持ちから、その後は石鹸で手洗いしてから洗濯籠に入れるようになりました。「探偵!ナイトスクープ」というTV番組で、「大人の男は誰でもウンコをちびったことがある?」という真面目な検証をしていたことを思い出し、まあ仕方ないかと思っていましたが、若い頃よりも汚れが増えたことにも気づきました。その時は、老化で肛門の締まりが悪くなったせいと思っていましたが、数年前に外国の医学雑誌で、肛門洗浄をすると、直腸内に入った洗浄液が浣腸と同じ原理で、高齢の男性では便失禁が起こりやすくなるという論文を読みました。それ以来、洗浄は最低の水圧で短時間で済ませるようになり、今でもその習慣は続いていますが、最近では便の汚れが減ったような気がします。

 仕事柄、多くの人の肛門を直視し、指や器械を挿入することも多いのですが、やはり昔よりも便が付着している肛門を見る頻度が増えた印象があります。肛門疾患の多くは生活習慣病であるため、排便習慣について問答すると、ほとんどの人が肛門の洗浄を行っていることがわかります。患者さんには、「紙でゴシゴシと強く拭くのはダメですが、勢いよく長時間洗うのもやめたほうがよいです」と言います。その他には、排便時間は3分程度にしてトイレに長居しない(その代わり回数が増えてもよい)、便意がないのにトイレにいかない、便意があったら我慢しないでトイレに行く、肛門を洗浄する際には肛門を広げて奥に洗浄液を入れない、などの助言をしています。現代社会は、清潔志向が過剰です。口や鼻に比べると、肛門から病原微生物が入ることは稀です。口から食道や鼻から喉の奥と、肛門の表面は同じ系統の細胞(扁平上皮)で覆われていますが、これは外界からの刺激に強く、表面を保護する役割を担っています。胃や直腸は別の系統の細胞(円柱上皮)で、直腸を保護する肛門は非常に短いのです。短いバリアで体内を保護している肛門は知的で弱い門であり、無理に開けてはいけない門なのです。手と同じくらい肛門をきれいにすることは、有害無益とは言いませんが、有害小益であることは確かです。

 ある肛門科のベテランの専門医が一般雑誌に、よく洗浄する人ほどに、肛門に便やトイレットペーパーが付着していることが多くなったと指摘し、過剰に洗浄すると皮脂腺が破壊され、色素沈着やかゆみが起こり、皮膚が炎症を起こして硬くなり肛門が狭窄して便が出しにくくなると記述していました。さらに、洗浄することでウイルス感染が起こり、通常は肛門性交で見られる尖圭(センケイ)コンジローマまでできることを学会で報告しています。肛門に便が着いていると、肛門はただれやすくなりますが、徹底的にきれいにしようとすると、逆に便がたくさん付着することになります。まさに過ぎたるは猶及ばざるが如しです。パンツの汚れがひどい人は、一度洗浄をやめて、やさしく拭き取るほうがよいと思います。とにかく強く洗うことはやめましょう。皆さんが考えるほどお尻は洗ってほしいと思っていないはずです。

掲載日付:2025.10.20

Vol.302 移民より優先すること

 労働力が過剰になると失業者が増え不景気なります。現役世代には安倍晋三元総理が今も人気があるようですが、それは経済政策で雇用を拡大して失業率を下げ「氷河期」を終わらせたからと言われています。労働力が不足すると給料が上がり雇用は促進されるはずですが、低賃金の外国人労働者を優先すると、日本人の雇用は進まず経済は停滞します。また、短期的には企業の利益は増えますが、オランダの調査からも、移民が増えると長期的には国家の経済損失は利益を大きく上回ることが予想されます。

 人口が減ると需要も減るはずですが、コンビニやドラッグストアは狭い範囲に乱立し、外食産業も似たようなものが次々に現れては消えていますが、これほどの供給施設が必要でしょうか。需要が減っているのに供給は増えているような気さえします。これを整理するだけでも、労働力が確保できます。次に、潜在的な労働力の活用です。「103万円の壁」を引き上げるとパートやアルバイトの労働力は増加します。また、もっと働きたい人の自由を奪っている「働き方改革」を止めることも有効です。この制度が医者にも適用されるのは、狂気の沙汰です。研修医の労働時間が制限されると研修が希薄になり、一人前になるまでに年月を要し、質にも影響します。過重労働は個別の対策により避けるべきで、労働時間を一律に制限することの弊害は、厚労省の役人が考えるより遥かに大きいと思います。副業を奨励する前に、あらゆる現場で今よりも働きたい人を活用することです。ある試算では潜在的な労働力は数百万人以上とも言われています。ただ、「労働は美徳」という観念が古事記の時代からあった我が国でも、「労働は苦役」という西洋的な考え方が定着した現代の若者がどうように行動するかは疑問でもありますが。

 機械化や人工知能(AI)を労働現場に導入する研究には大幅な予算を注ぎ込むべきです。医療従事者にとって腰痛は職業病ですが、パワーアシストスーツ(筋力を補って身体能力を強化する装置)は、高齢者や女性の負担を軽減し、人手を減らすことにも貢献します。ロボットも含めて積極的な研究と導入が必須です。医者の領域では、AIによる放射線科の画像診断や顕微鏡による病理診断は平均的な医師と同等になり、問診をして検査を計画する能力はすでに人間を上回っています。AIは感情的にならないので、人間より紳士的でトラブルも起こりにくい利点もあります。医師不足の解消や人件費の節約にも貢献します。電子カルテによる事務作業の軽減は進んでいますが、まだまだ不十分です。医療以外でも、路線バスの運行や高速道路でのトラック輸送の自動化は、法整備さえ進めば実現できそうです。同じ路線を交通法規を遵守して走るので、所要時間は少し長くなるかもしれませんが、安全性は高くコストは低下します。米国ではタクシーの自動運転も実現しており、事故率は人間の1/10で、運賃も安いそうです。

 上記のような自動運転や無人販売が普及するためには、国民にモラルがあり、治安が維持されることが前提になります。移民が増えると治安が悪くなると言うと、差別主義者のレッテルを貼られますが、経済難民が組織的に移住すると集団化します。90%の住民が特定の国の経済難民である集合住宅で、日本の習慣やルールが守られるでしょうか。可能と考えるのは、決してそこには住むことのない政治家や富裕層か世間知らずのおバカさんです。その地域には警察も手を出せなくなることは、欧州の例を見ても明らかです。だからこそ外国人の受け入れは慎重になるべきです。これまでの外国人の多くは日本の文化に興味を持ち、それを尊重して暮らしてきました。今進行している移民はこのような人とは全く異質で、大規模化しているのです。現状の移民政策では、社会保障費は増大し文化も破壊されます。人口減少と労働力不足を受け入れた上で、可能な対策を早急に始めるほうが、現実的かつ重要だと私は思います。

掲載日付:2025.10.09

Vol.301 人口減少と労働力不足、移民は最良の対策なのか

 我が国の人口は2008年をピークに減少し始め、これに歯止めをかけることが重要と言われています。経済が豊かになり平和が続くと、出生数が減少するため人口が減少します。1947〜49年には年間約270万人が生まれ団塊の世代と呼ばれていますが、その後は減少し、私が生まれた1958年には150万人、昨年は70万人を切りました。人口の減少により労働力が不足して、経済が縮小する対策として、出生数増加を目的に「こども家庭庁」なるものが創設されましたが、その存在意義は疑問で、税金の無駄遣いとしか思えません。実は、私が高校生だった1970年代前半には、このままでは世界の人口が爆発するから、我が国でも「産児制限を」という言葉が普通に用いられていました。近年の人口減少はそれが実を結んだとも言えます。

 人口減少によって国民総生産(GDP)は減少しますが、一人あたりのGDPは増加することもあり、「人口減少=貧困」とは言えません。最大の欠点は戦争(特に地上戦)で弱いことです。人口1億人の国が100万人の国を侵略することは可能ですが、逆は不可能です。一方で、最大の長所は食料不足が起こりにくいことです。確かに人口が減少すると労働力は不足しますが、経済規模も縮小するので、急激な変化さえ起こらなければ対策は取れるはずです。先の戦争では、若い男性を中心に300万人以上が亡くなりましたが、団塊の世代が生じたのはその影響です。貧しい地域では子供は生産力そのものであり、乳幼児死亡率が高いと多死を補うために多産になります。中国や韓国の合計特殊出生率は我が国よりも低く、アフリカ諸国はずっと高いのです。平和で豊かな社会で、出生数を維持することは困難で、男女平等が当たり前になり、出産可能な女性にも社会参加が求められる現代では不可能と言えます。我が国が貧しくなると、いずれ出生数は増えるでしょうが、そうならないである程度維持する道を考えればよいのです。

 労働力不足の対策として、移民は最も即効性があり、労働力が安価であることは雇用側には魅力があります。第二次大戦後の高度成長期に、当時の西ドイツは単純労働の人材をトルコなどからの移民に求めました。短期的には成果がありましたが、長期的には深刻な移民問題を招きました。当時の日本も労働力不足になりましたが、移民に門戸を解放せず(できず?)、そのかわりに肉体労働者の賃金を上げました。そのため我が国には移民問題はなく、20世紀後半には「一億総中流」という前代未聞の社会を作り出しました。ところが、グローバル化という巨大な波に乗って、「総中流ではなく努力するものが報われる社会」というスローガンを掲げた政府は、移民ではなく「技能実習生」という名前を使って実質的に移民政策を進めました。近年急激に増加した移民が社会問題化し、ようやく国政選挙の争点ともなってきました。

 福祉先進国として有名な北欧のスウェーデンは国土面積は日本の約1.2倍ですが、人口は約1/12で東京都民より少ないのです。国土に占める森林面積は両国とも60%代後半で、居住に適した面積はほぼ同等と考えられ、体感的な人口密度は1/15程度でしょう。そのような人口の少ない国でも、豊かな国造りは可能でした。ところが、欧州の中でも特に移民に寛容な政策を取ってきたため、アフリカや中東からの移民が急増するとともに治安は悪化し、性被害に遭う女性の数が人口比で世界トップクラスになりました。他の欧州諸国でも、治安の悪化や文化の破壊に危機感が起こり、国民的な運動になっていますが、我が国の政治家・官僚・経済界は、相変わらず前のめりになっています。外務省から発表された「ホームタウン構想」もその一つです。親族が移民ビジネスに深く関わっている有力政治家の名前も上がっています。移民以外に労働力不足を補う方法はないのでしょうか。専門家ではありませんが、私なりに考えることを次回にお話しします。


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