Vol.223 誰のための働き方改革?
いろいろな職種で働き方改革という名のもとに、労働時間を短縮する政策が進められています。医療業界も例外ではなく、厚生労働省の医師労働時間短縮計画策定ガイドラインでは、時間外労働(残業)時間が年960時間を超える医師が勤務する医療機関に対して、2023年度末までに計画の作成・実施と都道府県への提出が義務付けられました。今回のコロナ騒動の影響で、計画の作成は努力義務に変更されるとともに、都道府県への提出も任意となりました。
働き方改革は、低賃金で長時間労働を強いる雇用者をなくすために進められている政策だと思います。確かに連日の長時間労働から医師が自死した事件もあり、医療業界にも過酷な労働環境はありますが、逆にもっと仕事をしたいという医者が仕事をできないという現象も起きています。私は医者になって35年以上経ちますが、自分の労働時間を意識したことはほとんどありません。私が研修を始めた病院は1000床以上の大病院で、初期研修医の頃は毎朝7時30分からのカンファレンスがあり、ほぼ連日深夜まで仕事をしていました。週に一度は当直があり、その翌日も同様の仕事でした。外科医になってからは月曜日から木曜日までは朝から夕方まで予定手術があり、金曜日は恐怖の?部長回診でクタクタになり、翌週の術前検討会の準備から、溜まった診療録や書類を土曜日までかけて整理し、週末に当直があると2週間通しの仕事漬けの生活でした。緊急手術も多く、その90%以上に参加していたと思います。今から思えばハードな6年間でしたが、私の医者としての基礎を作ったことは間違いありません。17年前からは現職ですが、今でも毎朝7時には業務を開始しています。
私の歩んだ道を今の若い医師に進める気はありませんが、画一的な労働時間を前提とした働き方には抵抗を感じます。年齢や環境によっては徹底的に仕事に集中する時期があってもよいと思います。医者以外でも、元気なときに多くの仕事をして収入を得て、それを元手に夢を叶えるということもあるでしょう。勤務時間を制限するのは、改革の一つの手段であって、それ自体が目的になっていないでしょうか。自死に至った医師は、個別の例として十分に検証し改善点を探すべきです。医療業界では若手医師の労働時間を減らすため、研修医は時間が来たら手術から降りて退勤するところもあるらしく、また当直回数も少なくなり、当直明けは早く退勤するのが当たり前になり、その分の仕事を年長者が行うことも現実に起こっているようです。
将棋の永瀬拓矢王座は、強くなるためには1万時間の努力が必要であるという信念から、棋士になって毎日10時間の勉強を3年間続けたそうです。彼に勤務時間という意識があるとは思えません。最近の若い医師は、医学知識が豊富で、対応も丁寧で、昔よりもヤブ医者は少ないと思いますが、それでも経験による差が現れる場面は少なくありません。特に手術などの技術を要するものは今でも経験が物を言います。知識を身に着けた上で、集中的に技術を学ぶのは、圧倒的に若いときが有利です。その時期に、退勤時間が来たらさようならする生活は、私なら耐えられません。そのような医者がいてもよいでしょうが、同一規格の医者がそこそこのレベルの機械的医療に均一化されると、徐々に医療の質は低下します。機械的な人間が行う医療は、人工知能が行う医療には決して勝てず、結局は医療を受ける側が損をします。私はそのような医療を受ける側にも提供する側にもなりたくありません。医療に限らず、全てうまくいくシステムが存在するという幻想は捨てて、それなりに作り上げたシステムを微調整しながら、運用方法を変更したほうがよいと思います。今の働き方改革は、弱い労働者を守るためではなく、政治家が「やっている感」を見せ、行政が責任を取らずに済むためのものだとしか思えません。