Vol.307 医師3割「不要入院をさせた」
昨年12月28日付の日本経済新聞は、タイトルのような見出しで膨張する医療費の一因に「過剰な入院」があることを指摘しています。全国の医師約8千人(病院勤務医が約70%)を対象にした調査で、30%の医師が不要な入院をさせた経験があると答え、その複数回答の上位には、「患者や家族の希望」が約50%、「病院から病床利用率を上げるようにとの指示」が約40%、「病床利用率を上げたほうがよいと自らが判断」が約25%、などが挙がっています。
「不要」や「過剰」の定義は、記事には示されていませんが、おそらく「結果的にはしなくても問題なかった入院」ということだと思います。例えば、何となく鳩尾あたりが痛いという高齢者が受診して、診察や検査では異常がないけれども、念のため様子を見ましょうと入院したとします。その後、何もなければ記事の言う「不要な入院」となるのではないでしょうか。ところが、同じような患者が、薬で様子を見ることになり帰宅した翌日に痛みが強くなり救急搬送され、虫垂炎(盲腸)の破裂で緊急手術を受けたあとに合併症を起こして死亡したら、不適切な対応と騒ぎ立てるはずです。適切な診断をつけ治療を行うことは昔から臨床医には大きな課題で、残念ながらいつもうまくいくとは限りません。また、同じ病状でも、患者の状態や家庭環境、交通手段などの受診に要する労力などを考えて入院適応は判断されます。
我が国は、人口あたりの病床数が多く、平均在院日数も長く、入院のハードルが低いことは事実です。施設に入所するはずの人が入院していることもあるでしょう。ただ、介護と入院をあわせて社会保障と考えると、「入院は悪、介護は善」と考えるのは間違っています。地方に多くの施設を作るのは質に問題が生じ、むしろ中規模の病院で医療から介護まで幅広く提供するほうが効率がよい場合もあります。私はそのような病院の院長で、入院患者数は常に気にしていますが、病院の運営や経営には当たり前のことです。一般病院の約60%は赤字です。公費からの補填がない我々のような民間病院は、自前で利益を出さないと病院の新築はもちろんのこと、日々の診療を続けることもできません。金儲けを最優先する病院がないとは言いませんが、このような分析は非常に表層的で、問題を真剣に検討する記事とは思えません。
病院経営や医療従事者の待遇改善のために、来年度は診療報酬が3%程度上がるようですが、そのつけは社会保険料の上昇や増税として跳ね返ってくるでしょう。医療費増大の対策は、不要な医療を選別して、医学の進歩に伴って変化する医療を公平に分配することです。これに必要不可欠なのが費用対効果の科学的な検証です。歴史的にも我が国はこれが苦手でしたが、科学の分野にも政治や経済の力が介入するようになり、ますます困難になっています。ある医療行為から国民がどのような利益を受け、そのためにどれくらいの費用がかかるかを検証した上で、どのような患者にそれを保険適用にするかという政策を決定することができないのです。これはコロナ騒動を見ても明らかです。多くの人が有用性を信じている癌検診、超高齢者に対する血液透析の導入、回復の見込みのない患者への経管栄養や点滴の実施など、大いに疑問を持つ医療は少なくありません。しかし現実は、一部の利益を得た人や損害を被った人を情緒的に取り上げ、医療を持ち上げたりおとしめたりして騒ぎ立てるマスコミや製薬会社や医師会に誘導されています。シビアな政策に反対する国民を説得して決断する政治家がいるでしょうか。一番難しいのは、長年ぬるま湯に浸ってきた国民が現実を理解することかもしれません。富める者と貧しい者が受ける医療が全く異なる国か、均質だけれども質の低い医療しか受けられない国かのような、悪魔の選択しかない未来を想像するのは悲観的すぎるでしょうか。