新庄徳洲会病院

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掲載日付:2025.04.02

Vol.293 嘘つきは人間の始まり

 4月になり当院にも新しい仲間がやってきました。毎年、1時間のお話をしますが、これだけは守ってほしい約束をします。それは、仕事では絶対に嘘をつかないということです。ここで言う嘘とは、事実と異なることを意図的に言うことで、勘違いや物忘れは含まれません。医療現場は、一般の人が想像するよりも遥かに危険が多く、医療事故では生命に関わることもあります。責任を逃れるために、事実と異なることを言いたくなるのは誰にもありますが、原因究明を妨げることは、医療の安全を脅かし、次の犠牲者を増やすことになります。患者に対して故意に不適切な行為をしたのでなければ、病院は個人の責任を追求しません。皆さんを守るためには、事実をありのままに話すことが医療者の義務であるとともに最善の策であるということを強く訴えます。

 「私は嘘をついたことがありません」と言うこと自体が嘘と思われるほど、嘘は我々の身体に染み付いています。人間と嘘(虚構)の関係は、Y.N.ハラリ著の「サピエンス全史」では、以下のように述べられています。地球上の人類は、現在ではホモ・サピエンスしかいませんが、熊にはヒグマやツキノワグマなどがいるように、サピエンス以外の人類が同時に数種類存在していた時代が長くありました。人類は、約600万年前にチンパンジーと共通の祖先から別れて、アフリカで進化しユーラシア大陸へ広がりました。その後に分化して、50万年前にはネアンデルタールがヨーロッパや中東で、サピエンスは20万年前に東アフリカで進化します。ところが、3万年前にネアンデルタールが、1.3万年前にサピエンス以外はすべて絶滅します。これは、サピエンスが他の人類を絶滅させたという説が有力で、サピエンスが移動していった地域では、人類以外にも様々な動物が絶滅しています。ネアンデルタールは、サピエンスよりも体格も脳も大きく、火や道具や言葉も使い、初期には優勢でしたが、やがて力関係は逆転しました。

 身体能力が劣り、知能も同等と思われるサピエンスが勝てたのはなぜでしょう。それはより大きな集団で戦うことができるようになったからだと考えられています。安定的に人間関係を維持できるのは約150人が上限であると言われています。顔と名前が一致して、大体どんな人かが分かる数と考えてよいでしょう。軍隊で「中隊」に相当するこの数は、大脳の新皮質の大きさに依存すると言われ、チンパンジーではヒトの1/3程度で、20〜50頭以上の集団は維持できません。この数はネアンデルタールもサピエンスも同数でしたが、7万年前にサピエンスは更に大きな集団を作る能力を身に着けました。それは、言葉で虚構を語る能力です。「昨日あそこにライオンがいた」という単純な情報の伝達ではなく、「俺はライオンの生まれ変わりだ」とか「あいつは悪い奴だ」などという虚実の曖昧なもの、つまり物語を作ることができるようになりました。やがて宗教や神話という虚構を下にして、統率の取れた集団行動ができるようになったのです。

 私たちには物語を作る能力、言い換えれば嘘を上手につける能力が生まれながらにあるのです。だから、噂話が大好きで、騙されやすい反面、進んで共同体のために命を投げ出すような偉業を成し遂げることもできるのです。ただ、物語は医療現場に不要です。人は必ず間違いを起こします。そのため医療事故は日常的に起こります。事実を積み重ねて事故の原因を調べることでしか、次の事故を防ぐことは出来ません。だから事実を述べている限り、個人を罰してはいけないというのが鉄則になるのです。嘘をつくことが本能のようなものだからこそ、嘘つきにならないためには強い意志が必要です。ただ、「嘘も百回言えば真実になる」というように、嘘を繰り返し言うと、他人だけでなく自分さえもが真実と感じるようになるという思考のすり替えも起こるので悩ましいところです。とにかく医療現場では嘘は絶対禁忌です。


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