新庄徳洲会病院

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掲載日付:2006.11.15

Vol.21 心臓と血管の手術の始まり

 最後までメスが入らなかった臓器は心臓ですが、その扉も1896年9月に開かれます。2日前にナイフで胸を刺されたドイツの若い植木職人を診察したルイス・レンは、心臓が傷つき心嚢(心臓を包んでいる袋)に血液が貯留している状態(心タンポナーデ)だが、心嚢から胸腔に血液が漏れ出ている(血胸)ために生き延びていると診断します。「なぜ他の臓器と同じように心臓を縫合することができないのだろう」という疑問の中で、このままでは確実に死を迎える患者を目の前にして手術を決断します。心嚢を切開して、出血している右心室に手を当て、止血が可能なことと心臓が鼓動を続けることを確認し、心臓が拡張する間に絹糸で3回縫合し、止血に成功します。

 心臓の縫合は可能でも、治療への応用には、多くの難問が残ります。その道を切り開くのは、フランスの外科医アレキシス・カレルです。1894年に腹部を刺されたフランス大統領カルノーが大血管の損傷により出血死するのをインターンとして目の当たりにし、「皮膚・腸・筋肉・腱が縫えるのだから、血管が縫えないはずがない」と考えます。1901年から実験を開始し、1905年には渡米して本格的な研究生活に入ります。カレルは1901年からの10年間で、血管の修復と吻合・代用血管の開発・血管の移植・臓器移植など、今日の血管外科のほとんどすべての手技を動物実験で行い、1912年にはノーベル医学生理学賞を受賞します。カレルが成功した理由の一つに、非常に器用であったことが挙げられますが、刺繍の名人に教えを受けたことが大きく影響しているそうです。 1905年には人に先立つこと63年前に犬の心臓移植にも成功しますが、終生カレル自身は人に対して手術をすることはありませんでした。

 1930年には「翼よ、あれがパリの灯だ」 で有名なチャールズ・リンドバーグと共同して、臓器を長期間生かし続けることが可能な血液酸素化装置を開発します。カレルは、生命現象に深い関心を持ち、 1935年には人間の本性と未来を考察した「人間、この未知なるもの」を著します。この本は数年間で18カ国語に翻訳され、現在でも名著として語り継がれ、日本でも渡部昇一氏の訳で三笠書房から出版されています。

 1938年から先天性の心臓病に対する手術が次々に行われるようになり、さらに1953年に人工心肺が完成してから心臓血管外科は飛躍的に進歩します。

院長 笹壁弘嗣
新庄朝日 第561号 平成18年11月15日 掲載


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