Vol.283 豪雨災害に少しだけ関わりました
7月25日の豪雨では、山形県内でも死者2名・行方不明1名の人的被害のほか、住宅の浸水・道路の崩壊・停電や断水など大きな被害がありました。私の病院がある新庄市では、救助要請に出向いた山形県警の20代の警察官二人が最上川の支流である新田川でパトカーごと流されて殉職されました。誠に痛ましいことです。事故現場の上流で新田川は病院の前を流れており、病院の反対側の堤防と農道が約20mにわたって崩落しました。過去20年間で最も水位も高くなり、川沿いにある付属保育園の園児も病院に避難してもらいました。
私はもしもに備えて病院に待機していました。幸い病院には被害はありませんでしたが、近隣の介護施設が腰の高さまで浸水し、1階の入居者を2階に移動するだけでは追いつかず、25日の夜遅くに17人の緊急避難を受け入れました。管理当直や応援に駆けつけてくれた職員と、受け入れスペースの確保と環境整備などに当たりました。当院の中でも安全性が高く、一箇所に集めることができる場所として、多目的室が妥当と判断して、マットレスを各所から調達し、シーツを敷きました。豪雨の中を消防団員に連れられて避難したので、濡れている人が多く、病衣やヘアドライヤーも準備し、オムツも必要になりました。
26日の午前1時過ぎに一段落しましたが、その直後に、20人ほどの追加受け入れを要請されました。多目的室はこれ以上使えないので、休床中の病棟を急いで整備し、何とか朝までに間に合わせることができました。出勤してきた職員のおかげで、最終的には34人全員を一つの病棟にまとめることができました。栄養科の職員には朝食をお願いしました。食事内容もご飯から軟らかいお粥、おかずも細かく刻むことまで、立派に成し遂げてくれました。それ以後も、生活の場と給食の提供は継続しています。道路の復旧は進んでいるようで、患者の送迎バスの運行は平常に戻りました。医薬品や医療消耗品は少し遅れた程度で、当初は十数名いた出勤できない職員もなくなりました。病院の機能としては大きな問題はありませんでしたが、周辺の町村では、浸水した家屋もあり、断水が続いている地域もあります。復旧にはかなりの時間と労力が必要です。
今回得た教訓は以下のようなものです。まず、職員が被災すると戦力がダウンするということです。十数人が出勤不能になりましたが、これが数倍になったら病院は機能不全に陥ったでしょう。看護部は部長が避難所暮らしとなりましたが、副部長のリーダーシップで事なきを得ました。事務長も避難したため、行政とどのように連携したらよいかが私はわからず、避難した人を預かることしかできませんでした。次に、有事の際には休床中の病棟はいろいろなことに使えると高をくくっていましたが、実際はそこが物置に近い状態となっており、まずそれを撤去することから始めなければなりませんでした。緊急手術ができるのは、日頃からいつでも手術可能な状態にしているからで、まさに「段取り八分、仕事二分」です。ベッドはたくさんあってもマットレスが全然ないということも把握できていなかったので、稼働中の病棟や外来の観察室から調達することになり今も影響が残っています。避難者のほとんどが女性で、初期対応した職員がすべて男性であったため、夜勤の女性看護師に応援してもらって、必要物品を揃える必要も生じました。とはいえ混乱はあったものの、大過なく乗り切れたことは、多くの職員の協力の賜物です。私が26日の朝礼で話したことは、①自分や家族の安全を最優先する、②日常業務のレベルをできるだけ維持する、③その上で可能な限り被災者への援助をする、の3つです。どうしていいかわからない事態に直面したときにどのように振る舞えるかが、人間としても成熟を表すのでしょう。職員の成長を喜ぶとともに、己が未熟者であることを再認識した2日間でした。