新庄徳洲会病院

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掲載日付:2015.08.15

Vol.121 人の品種改良政策の悲劇から生まれた名作

 先日ラジオから「人を品種改良する思想」という物騒なタイトルが聞こえてきました。話し手は哲学者の篠原駿一郎氏です。品種改良といえば、農作物や家畜を思い浮かべますが、人も例外ではなく、二通りの方法ー優れた素質を増やすことと劣った素質を伝えないことーで行われてきました。これは優生学という学問として19世紀後半には世界的に受け入れられ、福沢諭吉もその唱導者だったそうです。人は優秀かどうか見極めるのに時間がかかり、教育も必要です。そのため病気や障害を持った人に、断種手術を受けさせ、時には殺害してまでも、生殖を控えさせる後者の方法が多く行われました。有名なのはユダヤ人に対するホロコーストですが、米国やカナダやスウェーデンなどでも1970年代まで精神障害者に対して断種手術が行われていたそうです。

 我が国で優生政策が始まったのは第二次大戦後で、人口抑止や日本人の質的改善の目的で1948年に「優生保護法」が制定され、1996年までに84万5千件の不妊手術が報告されています。精神疾患や遺伝性疾患以外で手術の対象となったのがハンセン病です。1953年に制定された「らい予防法」に基づいて、患者は全国13か所の国立療養所へ強制入院させられました。この時期には、ハンセン病は遺伝することのない感染症で、その感染力も弱いことが判明し、特効薬が開発されていたにも関わらず、断種手術は千数百件、中絶は三千件以上なされたのです。患者が療養所から出ることが許されたのはわずか20年前のことです。

 全国の療養所の中でも有名な東京都東村山市の多磨全生園には附属看護学校があるのですが、かつて私は10年以上にわたって講義に行っていました。講義の後に職員から施設の見学を勧められましたが、多忙を理由に断り続け、新庄への赴任を期に機会もなくなってしまいました。

 平成23年にドリアン助川氏が、多磨全生園を舞台にした「あん」という小説を上梓しました。心揺さぶる名作でした。当時そこにいながら、この事実を知ろうとしなかった我が身を深く恥じるとともに、建前では人権を謳いながら、それを平気で踏みにじる行為に知らず知らずのうちに加担する自分にも気付かされました。本は文庫本化され増版を重ね、今年ついに映画化されました。監督は山形にも縁深い河瀨直美さん、主演は樹木希林さんです。「何かになれなくても生きる意味はある」が、この映画のテーマです。読んでから観るもよし、観てから読むもよし。8月22日から山形でも公開されますが、上映期間が短いのでご注意ください。

院長 笹壁弘嗣
新庄朝日 第771号 平成27年8月15日(土) 掲載


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