Vol.36 『患者様』と『医療崩壊』の関係
「患者様」がなぜ「医療崩壊」と関連するのかは、里見清一著『偽善の医療』に詳しく書かれていますが、私なりの解釈は以下のようなものです。
豊かになるにつれて生活は多様化し、大家族時代には1台で済んだ電気製品が、核家族ではたくさん必要になります。そのために開発された商品は、経済成長が最優先される社会では、売るためにあらゆる手段を講じることが善とされます。その流れの1つが「お客様は神様です」という精神です。このような社会では、顧客の善し悪しは、お金を出す量で決められます。
医療の特殊性は、サービスを受けられないと最悪の場合、命を失う危険があるという点です。お金がないのに、最高級のテレビを買う人はいません。安いテレビで済ますか、場合によってはなくてもよいのです。そのような商品と同じレベルに医療を置いてしまったことが、大きな問題なのです。医療側が患者さんを「顧客」として扱うということは、お金をたくさん出す人ほど優先されるということです。ということは、お金が払えなくなれば、当然お客様でなくなるわけです。医療に市場原理を持ち込む風潮は、米国ではすでに現実になっているのです。
もう1つの大きな問題は、お客様扱いされた人の中に、医療者に無理難題を突きつける勘違い者がいることです。「お客様」から罵詈雑言や実際暴力を受けた医療者は増加の一途です。しかも他と違って医療は原則として診療拒否ができないので、こういう人を排除することが非常に難しいのです。暴力は弱い者に向かうので、おとなしい看護師や事務職員ほど被害に遭いやすいのです。もちろんこのような不届き者は、ごく一部ですが、仮に1%いると普通の病院では毎日数人に対応しなければなりません。その労力は、普通の患者さんの数十人分以上でしょう。病院は完全に機能不全に陥ります。
これは子供を「お客様」と位置づけた教育の現場にも当てはまります。「教わる」側が、「こちらが金を払っているのだから、教えるのは当たり前」と思い、一方「教える」側が、報酬のみを目的と考えるときに、教育というものが成立するでしょうか。医療者が誇りや使命感を捨て、患者が顧客になり、医療の両面が崩れている。その象徴が「患者様」であるように思います。実は今でも多くの医療者の最大のモチベーションは、患者さんに感謝されたいというものなのです。
院長 笹壁弘嗣
新庄朝日 第621号 平成21年5月15日 掲載