Vol.291 マスメディアについて思うこと
フジテレビが世間を騒がせていますが、私はマスメディアに対しては批判的な立場です。個人的にもよい経験はなく、新聞や雑誌を名乗る関係者が、このコラムを読んで連絡してきたことが数回ありましたが、全員が時間と労力をかけずに自分の書いたシナリオを補強してくれる専門家を求めているとしか思えないので、有名になりたくない私は、「田舎で医療をしている専門家でもない爺よりも、もっとふさわしい人がいるでしょう。」と言ってお断りしてきました。
マスメディアとは、新聞・テレビ・ラジオ・雑誌など、不特定多数の人々に情報を伝達する媒体のことで、マスコミとも呼ばれます。江戸時代のかわら版が明治期に新聞になり、1925年にはラジオ放送が始まり、リアルタイムに情報が伝達されるようになりました。1953年にはテレビ放送が始まり、情報に映像が加わりました。1972年に佐藤栄作首相が退任会見で、「新聞記者の諸君とは話をしない。ぼくは国民に直接話をしたいんだ。新聞になると違うんだ。偏向的な新聞が大嫌いなんだ。帰ってください。」と発言し、新聞記者も揃って会場から出ていったのを見た記憶があります。彼は直接情報を伝えるテレビを重視していました。即時性の点でも劣る新聞は、90年代後半をピークに発行部数は急激に減少し、昨年は当時の60%以下になりました。
テレビはバブル期から絶頂を極めましたが、インターネット(以下ネット)の普及により陰りを見せています。民放テレビ局の主な収入源は広告主からの広告料ですが、NHK党党首の立花孝志氏によると、総額で2兆円ほどの広告料はネットへの移行が進み、テレビが占める割合は半分以下になったようです。実際に、地上波のフジテレビの利益は、BSフジや系列ラジオ局のニッポン放送より少ないのです。一方で、公共放送であるNHKの収入の9割以上を占める受信料も、公式発表でも5年連続で減少し、年7000億円超から1000億円以上も落ち込みそうです。
かつてはテレビは事実を伝えてくれると信じられていましたが、立花氏は「テレビは洗脳装置」と公言しています。これは、「切り抜き」と呼ばれている操作と「報道しない自由」を組み合わせて、情報を操作して自らが伝えたいことを国民に植え付けているということです。一連のコロナ騒動のバカ騒ぎや、昨年の兵庫県知事の辞任から選挙に至る経緯などは好例です。テレビ局が公正中立でないことに多くの国民が気づいたのは良いことですが、既得権益に守られているメディアはその事実を認めず、未だに我が世の春だった時と同じ発想で同じ行動をしています。
新聞やテレビより一段下に見られていた雑誌は、「文春砲」などと呼ばれて一部では強い影響力を持ち、不勉強な国会議員の質問のネタにされることも珍しくありませんが、発行部数の減少は新聞以上に深刻です。低予算で運営できるラジオは、地域に密着した情報を、災害で停電しても提供できる点で、存在意義は大きくなる可能性があります。映像のネットへの移行は加速します。中国にはチューナー付きのテレビがなく、番組はすべてネット配信のようです。我が国ではまだ使えませんが、グーグルでは世界数百局の番組をネットで配信するサービスを開始しています。ネットは誤情報が多いとテレビでは言われていますが、貴重な情報の絶対数はテレビよりも多いのではないでしょうか。テレビが独占的に使用している電波帯は、もっと有効な使い道を模索すべきです。このコラムは、地元紙の折込から始まり、病院のホームページでも公開したところ、コロナ騒動の影響で月間の閲覧数が3万件前後になっています。吹けば飛ぶようなミニメディアですが、マスメディアでは伝えられないものをこれ以上は有名にならないように注意しながら、地味に届けられたらよいと思います。