Vol.146 105歳での延命拒否とは
7月18日に聖路加国際病院名誉院長の日野原重明先生が105歳で逝去されました。数々の偉大な業績には触れませんが、生涯現役を貫いた医療界の巨人です。新聞報道では、往診を受けながら家族に見守られた穏やかな最期だったようですが、その記事で気になったのは、亡くなる4ヶ月前に、口から栄養が十分には摂れなくなって入院した際に、経管栄養による延命治療を拒否したという部分です。
自らの著書で「過度の延命処置は、医療行為ではなく、営業行為である」と主張してる彼が、105歳の我が身の延命のために経管栄養を希望するとは思えません。とすると、積極的に勧めたかどうかは別ですが、医療側が選択肢を提示したことになります。医療側は日野原先生に教えを受けた人達です。
インフォームドコンセントが、日常診療の場で明文化されたのは我が国では20年前のことで、今では「説明と同意」として知られるようになりました。老衰で食事ができなくなった超高齢者に経管栄養をすることは、技術的には可能ですが、医療経済面と倫理面で問題があります。経管栄養に限らず、高齢者に対しては、何ができるかではなく、何をなすべきでないかを患者・家族と医療者が考えなければ、医療費は破綻し、「生ける屍」の高齢者があふれることになります。可能な医療をすべて行うことで自己満足に浸る家族も問題ですが、選択肢はすべて提示して家族に選択を委ねる医療者は、責任を回避しているだけです。
日野原先生は、退院後もしばらくは口述筆記で原稿を書くことも可能だったそうです。経管栄養を受けていれば、死期はもう少し先送りにできたかもしれません、もう少し著作が増えたかもしれませんが、逆に死期を早めた可能性もあることを考えると、大きな問題ではないように思います。
今後さらに進む多死社会で「高齢者をどのように死なせてあげるか」は非常に重要な問題です。現場では毎日このような問題で葛藤が繰り広げられています。私が主治医なら、彼には経管栄養を提示せず、要求されたらお断りしますが、このようなインフォームドコンセントを無視する不届き者は、遠からず日本の医療現場から追放される運命かもしれません。明らかに無駄な医療が、患者の家族や医療者の気分のために行われるのはもうやめにしましょう。患者には、正しいと思われる医療を拒否する権利はあるが、誤った医療を医療者に要求する権利はないというのが私の基本姿勢です。死にゆく人が穏やかな時を過ごし、それを見守った多くの人が励まされたからこそ、日野原先生の生涯は讃えられるのです。
院長 笹壁弘嗣
新庄朝日第819号 平成29年8月15日(火) 掲載