Vol.183 若者から「不要不急」を緩めませんか
私は人混みが大嫌いで休日はほとんど自室に引きこもっていますが、自粛が続く中、桜でも見に行こうかという気になり、天童市の舞鶴山公園に小雨降る中、車で出かけました。頂上近くの駐車場もガラガラで、散り始めた桜の花吹雪に囲まれ幸せな気分になりました。「不要不急」は耳にタコができるくらい聞かされましたが、芸術関係の仕事などは完全にその烙印を押されました。確かにギャンブルや飲酒はもちろんのこと、外食しなくても人は生きていけます。でも、人は必要不可欠なものだけで生きていけるのでしょうか。絵心のまったくない私が、20年以上前に東京でマティスの「ダンス」を観て心が震え、雪舟の水墨画を観て日本人に生まれたことを誇りに思ったことは今でも鮮明に覚えています。中島みゆきと出会わなければ私の人生は違ったものになっていました。うつ状態から脱出できたのは、吉田拓郎の曲や曽野綾子の本のおかげでした。
医療を始めとする共同社会の土台となるものは、必要不可欠の仕事になるのでしょうが、今のところ新型コロナの診療に直接は関わっていない自分は、普段とあまり変わることのない毎日です。医療の危機が叫ばれていますが、危険な仕事で心身をすり減らしている医療従事者はほんの一握りです。新型コロナの診療自体は特別なものではないはずです。特別なのは、感染防御に多大な労力を要することです。その一方で外来も病棟も患者が減っている医療機関は少なくありません。「不要不急」の検査や手術が延期され、収支の心配をしている経営者も多いでしょう。今回の騒ぎで、本当に必要な医療は何なんだろうと考える機会になった医療者もいるのではないかと思います。医療に関する「賢い選択」の話を以前したことがありましたが、要するに無駄な医療を減らそうという運動です。カゼに抗菌薬、頭を打っただけでCT検査、腰が痛い人にはすぐにレントゲン、等などです。時間に追われて励んでいた仕事が、それほど必要ではなかったと感じた医者もいるでしょう。
「不要不急」の選別は簡単ではありません。新型コロナとの付き合いが長期化することが明白になった以上、社会生活をどのように再開させていくのかを考えるときが来ました。今のところ我が国では30歳未満の感染者約3000人中、死者はゼロで、重傷者も5人に留まっています。若い人は感染しても重症化しにくいことは間違いありません。たとえ死亡者ゼロを維持することはできなくても、教育を始めとする若者の活動から始めるべきだと思います。人数制限をすれば、クラシックコンサートなどのイベントや美術館も再開できるはずです。
強調すべきは感染予防です。飛沫感染にはかなり意識が向いていますが、危ないのは接触感染です。注意すべきは人と人が直接接触することよりも、人→物→人による感染です。手すりやドアノブやスイッチなど不特定多数が触れるもので自分の手を汚染させない努力をし、自分の手の状態を気にしてこまめに手洗いやアルコール消毒を行い、自分の手で口や鼻の周りを触らない(マスクはこれに非常に有用!)、そんな習慣を自粛期間にこそもっと強調すべきでした。新型コロナウイルスとはインフルエンザと同様に共存するしかありませんし、今後も同じようなウイルスも現れます。学校教育で教え続ける必要があります。外食産業も環境を整えれば再開できるはずです。個人経営者も自分の人生をかけている人は多くいます。感染機会を減らすことで、再開できる業種が増えると、補助金の負担も減ります。先日の日本感染症学会で、ウイルス量は高齢者の方が多いようであるという報告もされています。やはり若者の行動抑制は早期に解除すべきです。