新庄徳洲会病院

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掲載日付:2026.10.29

Vol.320 脳梗塞から半年

 4月20日に延髄梗塞になって半年が過ぎました。お陰様でまだ生きて仕事もしています。直後の3回のコラムではその経過を書きましたが、今回はその続編です。日常生活は病前と大きな変化はなく、仕事もほぼ同様で、まわりからは「以前と同じですね」と言われることも少なくありません。実感としては身体と精神の機能は依然として低下していますが、予想外だったのは、新しい脳梗塞はないのに、リハビリで回復してきた機能が7月ころから低下したということです。

 明らかに悪化したのは感覚障害と嚥下障害です。痛覚と温度感覚は直後と同様で、常にしびれていますが、熱刺激や衝撃を受けたときに強い電流を感じて、持っているものを落としそうになることがあります。問題は階段を昇る際に左足に体重をかけると、膝に電流が走り崩れそうになることで、最近では右手で手すりを持ち、左足に体重をかけないようにしています。嚥下に関しては、6月下旬から先端に風船のついたカテーテルで細くなった食道の拡張訓練(バルーン訓練)を行い、1ヶ月余り続けました。水を飲むこと以外は、食事もほとんど問題なくできるようになりましたが、9月頃から明らかに飲み込みが悪くなり、むせることが多くなりました。10月には咳払いが以前のように増えて、咳が止まらなくなることもあります。バルーン訓練を再開しましたが、始めた時のように、食道の入り口がかなり狭くなっていることが実感できました。広げることはできるのですが、数日で元の木阿弥になるので、今では毎日やっています。

 身体のふらつきは、15年以上続けていたラジオ体操を久しぶりに再開して痛感しました。声もかすれやすく、咳やくしゃみが間延びするのも再燃しています。脳梗塞の影響というより加齢のせいだと思いますが、言葉そのものが出にくくなったのも感じます。短期記憶障害も、職員や患者さんとの会話中に、次に何を話すつもりだったかを想起できないことが頻繁にあります。そんなことは誰でもあると言われるかもしれませんが、2〜3秒前のことを忘れてしまうのです。このような症状は末永くと言うか死ぬまで付き合うことになると思っています。

 医療保険を使った脳梗塞のリハビリテーションの適用期間は180日と定められています。ある高名な物理学者は、患者を見捨てるのかと異議を唱えていました。発症から半年過ぎて感じるのは、リハビリの効果は認めますが、保険適用期間としては間違っていないということです。今の私には、リハビリは機能の改善をめざすというより、機能が低下する速度を遅くするためのものと考えています。ちょうどリハビリをしている時期に、東京科学大学を始めとする研究チームが、脳卒中で障害された脳が回復力を失うメカニズムが解明したという報道がありました。5月13日付けの総合科学雑誌「Nature(ネイチャー)」によると、多くの患者で見られる脳機能の回復が、2ヵ月程度で失われるのは、脳が壊れる前の状態に戻ろうとする影響で、1ヵ月程度するとZFP384というタンパク質が作られ、失った脳機能がまだ十分に回復できていないのに、このタンパク質が脳細胞の回復力を失わせてしまうということのようです。さらに研究チームは、ZFP384の働きを防ぐ薬も開発し、脳が壊れてから1週間後~1ヵ月後に治療を開始した場合でも、動物実験では回復力が失われずに持続することを発見しました。自然な回復力を持続させることに成功したということです。これが前回のコラムで紹介した脳梗塞の新薬です。同様の薬が高価であることから、費用対効果を考えると、私のような軽症の高齢患者には、公的保険では適用すべきではないし、望んでもいません。脳梗塞の場所が少しズレていたら、急死していたかもしれませんが、元に近い生活ができる私は、延髄梗塞の中でも軽症です。もう少し役に立てと神様が決めたのでしょう。凡人はできることを死ぬまでやるしかないですね。

掲載日付:2026.10.17

Vol.319 新薬の承認と医療保険制度の違い

 9月29日付の日本経済新聞の一面トップは、「米新薬、日本で半数使えず」という見出しで、日本の厚労省にあたる米国の食品医薬品局(FDA)で過去5年間に承認された薬238品目のうちで約半数の127品目が日本では承認されていないことを取り上げていました。そのうちの多くが、癌や希少疾患の治療薬であり、これらの治療が遅れることを懸念しています。確かに米国よりも新薬が承認されにくいことは間違いありません。その理由と影響について考えます。

 まず、自由競争社会の米国では、癌や難病に対して、最終的に生存率が上がることよりも選択肢を広げることを優先する傾向があり、大規模な臨床試験を簡略化することで、より迅速に承認されるようになりました。次に、日本人固有のデータを取るために臨床試験の追加を求められることも指摘されますが、人種による効果の差が生じることは稀ではないので、ある程度は仕方ないと思います。むしろ我が国の臨床試験に関しては、かつて降圧剤のディオバンでも明らかに露呈したように、正当性に問題があることと、最も信頼性の高い二重盲検試験(医者も患者も治療内容を知らない試験)が行われることが非常に少ないことです。3つ目の要因は、遺伝子や細胞を用いたバイオ医薬品が多く登場し、中小の新興企業が開発の主役となったために、世界最大の市場である薬価の高い米国での利益を挙げることに全力を注ぎ、手続きが煩雑で言語の壁が高く低薬価の日本にコストを掛けて進出するのを躊躇うことです。極めて例外的なのがコロナワクチンです。官民揃って接種を義務化するような勢いで、2兆数千億円分を購入しましたが、1/4以上が未使用で廃棄されています。このように我が国は科学的検証と手続きの一貫性が欠けています。

 米国のように新薬が次々に承認されるとどうなるかを考えてみます。確かに大きな利益を受ける人は減りますが、同時に不利益も減る可能性があります。また、米国には高齢者と貧困層以外には公的な保険制度がありません。高額な新薬は、公的保険や安価な民間の医療保険では対象外
で、一部の富裕層だけが使えるはずです。一方、我が国の医療は富裕層から貧困層まで同一の保険制度で行われます。そのため、すべての人が平等に公的保険で高額な薬を使用できるだけでなく、医療費が上限額を超えた場合にその超えた分を支給する高額療養費制度まであるのです。これが、稀な疾患に対してだけでなく、認知症や脳梗塞など数百万人単位の患者がいる疾患に対して年齢制限もなく適用されると、医療費はどうなるでしょう。米国では新薬の承認が増えても一般人にはあまり関係ありません。米国と大きく医療保険制度の異なる我が国は、公的保険制度をどうするかという問題を無視して、このような報道をするのはフェアではないと感じます。

 新薬は高額なことが多く、1回の治療に約3億円掛かるものもあります。もし年間100万人以上が発病する脳梗塞に、5000万円の新薬が開発されて、10%の患者に使われたとすると、医療費は5兆円増加します。脳梗塞は高齢者が多いので、余命は限られています。子どもの希少疾患を劇的に治療できる薬が1億円しても、保険適応にすべきです。それは将来社会に還元する可能性があるからです。果たして高齢者が国民にもたらす利益は釣り合うでしょうか。1つの治療薬だけで医療費がこれだけ増えるのです。当然保険料や各種税金は増え、最終的には国民皆保険制度が破綻する可能性があります。年齢による差別だという批判を恐れる政治家がこのような政策を進められるとは思えません。資産の多寡や社会的地位ではなく、最も公平なのは年齢による区別だと思います。完全に米国型を目指すのでなければ、医療に年齢制限を設けるしかないように思います。まずは無駄な医療を保険から除外し、年齢別医療を明確にして、全体の不幸を最小にするために多少の不幸は受け入れるのがよいと私は思います。

掲載日付:2026.09.19

Vol.318 医療は贅沢品になったほうがよいのかも

 和田秀樹氏と木村盛世氏の共著(対談本)「その医者から逃げる勇気」を発売当日に購入し読みました。二人とも私とほぼ同年代で、これまでも日本の医療の問題点を、活字や映像媒体で取り上げてきました。無駄な医療や過剰な医療については、大いに共感しこのコラムで取り上げたこともあります。和田氏は精神科医、木村氏は厚労省の医系技官を勤めた公衆衛生の専門家です。二人に共通するのは、米国での勤務経験があることと、現在の医療制度を継続するのは財政的に不可能なだけでなく、弊害のほうが強いという認識を持っていることです。

 第1章では、高齢者を薬漬けにして、健康を蝕んでいる上に、無駄な医療費をかけていることを指摘しています。第2章では、健康診断について取り上げています。劣悪な労働環境に起因する健康障害が深刻で、結核も蔓延していたために、病気を早期に見つけるために20世紀前半に始まった検診が、1970年代から一般の労働者に広がり、その有用性が過大評価されて今では国民全体に広がりました。さらにメタボ健診や癌検診を行うことで、病気を早期に発見し治療することが絶対的な善として周知されました。多くの場合、その効果は検証されることが稀で、病人を増やすだけになったような気がします。高血圧の基準が下がったのも同じ現象です。癌の早期発見で得をした人は強調されますが、損をした人は取り上げられず、功罪の比較もされません。私は、少なくとも高齢者で症状のない人が癌検診を受けるメリットはないと思います。

 第3章では、科学的根拠が不十分な医療を保険適応としたために、医療費が膨大になったことを指摘しています。医学が進歩するにつれて、様々な新薬や医療機器が開発され、劇的な効果が喧伝されていますが、その中には費用対効果が悪いものが少なくありません。例えば、アルツハイマー病の治療薬には、生活習慣を改善するよりも効果があるのかとか、もともと悪性黒色腫の治療薬だったオプジーボの適応が様々な癌にも適応されるようになりましたが、末期癌への延命効果はどの程度なのかなどの疑問を木村氏は投げかけています。公的保険で保証するほどの国民の利益があるのかということです。このような現象は、既得権を守ろうとする勢力と新たに公金を搾取しようとする勢力が、政治勢力に働きかけていることが要因の一つと言えます。

 第4章では、米国のように医療を贅沢品にすることが日本の医療を救う鍵になると述べています。私は、国民皆保険を守るためには費用対効果が悪い医療を保険適応にしないことは賛成ですが、米国型の保険制度を真似ることには抵抗がありました。米国の公的保険の対象は、高齢者と低所得者だけで、それ以外は民間保険に加入するため、結果的に多くの無保険者が生じました。民間保険は費用対効果を厳密に評価するので、不適切な医療は行われないと両氏は主張しますが、利益追求が最優先になることで適切な医療を受けることまで制限されます。米国の最近の動向は把握していませんが、少なくとも十数年前までは「市場原理が医療を亡ぼす」というタイトルの本があったように、富裕層が受ける医療と貧困層が受ける医療は全く別物で、中間層は大きな病気になると貧困層に転落する社会だったはずです。確かに、労働人口が減少し、経済が停滞し、医学だけが進歩する中で、現在の国民皆保険制度を適切に維持するのは至難の業だと私も感じます。不確実な医療を保険適応からはずし、「人生100年」などという甘い台詞よりも、高齢者には穏やかに過ごせる環境を作るための医療と介護をと周知すべきです。私の世代は、若い頃に高度経済成長の恩恵を受け、未来に希望を持てました。我々は「逃げ切り世代」と今の若者からよばれるでしょう。ただ正直に言うと、この本を読んで医療が贅沢品になったほうがよいのかもしれないという気もしてきました。読みやすい本です。医療を考える材料には最適です。


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