Vol.315 痰の吸引も有害無益なことがある
「死ぬのは苦しい」という考えには、私は懐疑的です。千人以上の死を看て感じるのは、意識レベルが低下してから死ぬまでの時間は眠っている状態で、普段の眠りが朝には覚めるのと異なり、覚めることがない眠りが死だということです。とすると、意識が完全になくなるまでの間に苦痛がどれくらいあるかが問題になり、その時間が短ければ苦痛は少ないと言えます。対光反射や心電図を確認することのなかった時代は、まさに「息をしている」ことが「生きている」ことでした。ということは、現代では生きている人が死んでいると判断されていたのです。そのため生き返る人もいましたが、そのまま死ぬ人は苦しまずに済みました。
若者の救命可能な急性疾患や外傷に対しては、あらゆる救命処置を行うのは当然ですが、実はこのようなときには患者自身の脳の機能は低下し、苦痛を感じていないのではないかと私は感じています。それは、救命できてからこのような患者と話をすると、例外なくその時のことを憶えていないからです。忘れているだけかもしれませんが、ずっと思い出せないのであれば何もなかったと同じことではないでしょうか。一方、衰弱して回復が難しい状態になった高齢者は、どのような病気でも、苦痛を最小限にすることを優先し、その上でどのように治療を進めるかを考えるべきです。医学の進歩により死ぬ瞬間を先送りすることで、苦痛を長引かせてしまうことが増えたことも事実です。この時間をいたずらに延ばさず、十分に苦痛を取ることを優先し、かつ苦痛を伴う医療行為を最小限にすれば穏やかな死を迎えることは可能になります。
私の父はパーキンソン病と認知症が進行し、寝たきりになりましたが、経管栄養はもちろん1本の点滴もしませんでした。それは父の希望ではありませんでしたが、豊かでない生活の中で私を医者にしてくれた父に対して最良のことと私が判断したからです。無駄な栄養補給・過剰な点滴・無意味な酸素吸入と同時に痰の吸引も慎重に行うべきです。肺炎に限らず寝たきりになった高齢者は痰が多くなることがよくあります。それに対しては、細いカテーテルを口や鼻から挿入して吸引するのですが、父に対しては看護師さんに鼻から気管にまで入れてしっかり吸引することは止めてくださいとお願いしていました。それは意識レベルが低下しても、痛みを感じ、むせることがよくあるからです。痰をつまらせて窒息してもよいのかと言われそうですが、気管より細いレベルの気管支が閉塞することはありますが、気管が詰まることは非常に稀です。気管支が詰まるのであれば、血液中の酸素は不足し、二酸化炭素は多くなるので、呼吸状態は悪くなりますが、脳が麻酔にかかった状態になるので、苦痛は感じにくいはずです。むしろこのような状態で酸素吸入を行うほうが、意識レベルがよくなって苦しくなることさえあります。苦痛を与えてまで、痰を一所懸命に取るのは有害無益なこともあるのです。痰が多いときには、口から喉の少し奥までカテーテルを入れて吸引して、痰が溢れ出ないようにすれば十分です。
痰がゴロゴロしているだけで、痰を取ってくださいという患者さんの家族がいますが、それは、飲み込めない唾液や分泌された粘液が気管や気管支の表面にあるだけで呼吸への害は多くありません。唾液や粘液を減らすためには、吸引するよりも、余分な水分を経管栄養や点滴から入れるのをやめるほうが有効です。私が終末期の患者さんのご家族に、「植物は最後には枯れていきますよね。人間もそのほうが穏やかな最期を迎えられると思いますよ。」という話をよくします。このように無駄な医療をやめることは、技術的には簡単で、苦痛の軽減にもなり、無駄な医療費も軽減できますが、「医療行為は善であり、最期まで続ける」という時代に生きてきた医療従事者と医療を受ける人の考え方を変えなければならないことが最大の問題です。