Vol.294 才能と努力、そして運までも…それでもできることは?
新入職員へのお話の続きです。「才能と努力と運」について自分が考える最新版を話しました。人が事をなすには、才能がある人が、努力を重ねて、さらに運をつかむことが必要だとこれまでは思っていました。才能は遺伝の影響を強く受けています。それに対して、努力は遺伝とは無関係と考えられがちですが、努力を継続する能力も30%〜50%程度は遺伝の影響があることが行動遺伝学の世界では常識になっています。つまり、「努力できる遺伝子」が存在するということです。もちろん、全てが遺伝ではなく、環境や個人の経験も大きく影響するので、努力を継続する能力は、遺伝と環境の相互作用によって決まる複雑なものと言えます。
私はこの話を聞いたときに、徳洲会の創業者である徳田虎雄先生はまさに「努力の天才」ではないかと思いました。貧しい徳之島という離島に生まれ、受験秀才とは言えない身から、恐ろしいほどの努力を重ね、大阪大学医学部に合格し、医者になってからは、「生命だけは平等だ」という体験から得た不屈の信念で徳洲会を興し、救急医療や僻地医療を展開し、民間最大の医療グループにしました。彼はしばしば自分の努力を「無茶苦茶な努力」と表現しています。一方で、発明王エジソンの名言に、「天才とは1%のひらめきと99%の努力である」というものがあります。一般的には、これは努力の重要性を説いていると思われていますが、エジソン自身は自分が成功したのは才能があったからだという「ひらめきの重要性」を強調したという説もあります。
成功には才能と努力が不可欠であることは間違いないでしょうが、その2つがあっても運に恵まれなければ大成することは難しいでしょう。大谷翔平選手には稀有な才能があり、ひたむきに努力を重ねたから大選手になったことに異論はないでしょうが、彼と同等の才能があり同様の努力を重ねても、運悪く怪我をして野球の道を断念した選手はいるかもしれません。運はまったく偶然の産物と思われがちですが、実はこれにも遺伝が関係しているということが行動遺伝学では常識になっています。運が遺伝するというのは、考えれば当たり前かもしれません。重大な交通事故を起こす確率は、私と私の妻では私のほうが高いはずです。それは私のほうがカッとしやすい性格だからです。性格の多くは遺伝が影響しています。幸い今のところ免れていますが、ひょっとすると自分が「危ない人」であると自覚していることは役に立っているからかもしれません。
運までも遺伝の影響を受けるなら、遺伝がすべてと考えてしまいそうですが、これは個人的にも間違っていると思いますし、学問的にも否定されています。運が遺伝に左右されるのは一部であり、遺伝しても発現しない形質もあります。遺伝と環境は相互に影響するのです。遺伝はあらゆることに影響することを理解した上で、どうするかを考えることが重要です。凡人が才能だけで漫然と生きている人に勝つことは珍しくありません。「昨日の自分」であると想定した他者を凌ぐことは、自分の進歩の目安になります。努力を継続するためには、一つは良い習慣を身につけること、もう一つは好きになることだと思います。食生活・睡眠・運動などで自分の能力を最大化する習慣を身につけることは、凡人の手が届くところにあります。好きなことには時間を忘れて夢中になれるので、苦にせずに努力を継続できます。好きなことを仕事にすることは難しいかもしれませんが、自分の仕事を好きになるのは意外とできることがあります。勤労は国民の三大義務のひとつなのだから、とにかくやってみることです。仕事を好きになるように3年間ほどこの病院でやってみてください、どうしてもだめなら別の道を歩けばよいし、別のことをやることで今まで気付けなかった自分の才能が花開くこともあります。と、話を締めくくりました。