新庄徳洲会病院

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掲載日付:2025.04.28

Vol.294 才能と努力、そして運までも…それでもできることは?

 新入職員へのお話の続きです。「才能と努力と運」について自分が考える最新版を話しました。人が事をなすには、才能がある人が、努力を重ねて、さらに運をつかむことが必要だとこれまでは思っていました。才能は遺伝の影響を強く受けています。それに対して、努力は遺伝とは無関係と考えられがちですが、努力を継続する能力も30%〜50%程度は遺伝の影響があることが行動遺伝学の世界では常識になっています。つまり、「努力できる遺伝子」が存在するということです。もちろん、全てが遺伝ではなく、環境や個人の経験も大きく影響するので、努力を継続する能力は、遺伝と環境の相互作用によって決まる複雑なものと言えます。

 私はこの話を聞いたときに、徳洲会の創業者である徳田虎雄先生はまさに「努力の天才」ではないかと思いました。貧しい徳之島という離島に生まれ、受験秀才とは言えない身から、恐ろしいほどの努力を重ね、大阪大学医学部に合格し、医者になってからは、「生命だけは平等だ」という体験から得た不屈の信念で徳洲会を興し、救急医療や僻地医療を展開し、民間最大の医療グループにしました。彼はしばしば自分の努力を「無茶苦茶な努力」と表現しています。一方で、発明王エジソンの名言に、「天才とは1%のひらめきと99%の努力である」というものがあります。一般的には、これは努力の重要性を説いていると思われていますが、エジソン自身は自分が成功したのは才能があったからだという「ひらめきの重要性」を強調したという説もあります。

 成功には才能と努力が不可欠であることは間違いないでしょうが、その2つがあっても運に恵まれなければ大成することは難しいでしょう。大谷翔平選手には稀有な才能があり、ひたむきに努力を重ねたから大選手になったことに異論はないでしょうが、彼と同等の才能があり同様の努力を重ねても、運悪く怪我をして野球の道を断念した選手はいるかもしれません。運はまったく偶然の産物と思われがちですが、実はこれにも遺伝が関係しているということが行動遺伝学では常識になっています。運が遺伝するというのは、考えれば当たり前かもしれません。重大な交通事故を起こす確率は、私と私の妻では私のほうが高いはずです。それは私のほうがカッとしやすい性格だからです。性格の多くは遺伝が影響しています。幸い今のところ免れていますが、ひょっとすると自分が「危ない人」であると自覚していることは役に立っているからかもしれません。 

 運までも遺伝の影響を受けるなら、遺伝がすべてと考えてしまいそうですが、これは個人的にも間違っていると思いますし、学問的にも否定されています。運が遺伝に左右されるのは一部であり、遺伝しても発現しない形質もあります。遺伝と環境は相互に影響するのです。遺伝はあらゆることに影響することを理解した上で、どうするかを考えることが重要です。凡人が才能だけで漫然と生きている人に勝つことは珍しくありません。「昨日の自分」であると想定した他者を凌ぐことは、自分の進歩の目安になります。努力を継続するためには、一つは良い習慣を身につけること、もう一つは好きになることだと思います。食生活・睡眠・運動などで自分の能力を最大化する習慣を身につけることは、凡人の手が届くところにあります。好きなことには時間を忘れて夢中になれるので、苦にせずに努力を継続できます。好きなことを仕事にすることは難しいかもしれませんが、自分の仕事を好きになるのは意外とできることがあります。勤労は国民の三大義務のひとつなのだから、とにかくやってみることです。仕事を好きになるように3年間ほどこの病院でやってみてください、どうしてもだめなら別の道を歩けばよいし、別のことをやることで今まで気付けなかった自分の才能が花開くこともあります。と、話を締めくくりました。

掲載日付:2025.04.02

Vol.293 嘘つきは人間の始まり

 4月になり当院にも新しい仲間がやってきました。毎年、1時間のお話をしますが、これだけは守ってほしい約束をします。それは、仕事では絶対に嘘をつかないということです。ここで言う嘘とは、事実と異なることを意図的に言うことで、勘違いや物忘れは含まれません。医療現場は、一般の人が想像するよりも遥かに危険が多く、医療事故では生命に関わることもあります。責任を逃れるために、事実と異なることを言いたくなるのは誰にもありますが、原因究明を妨げることは、医療の安全を脅かし、次の犠牲者を増やすことになります。患者に対して故意に不適切な行為をしたのでなければ、病院は個人の責任を追求しません。皆さんを守るためには、事実をありのままに話すことが医療者の義務であるとともに最善の策であるということを強く訴えます。

 「私は嘘をついたことがありません」と言うこと自体が嘘と思われるほど、嘘は我々の身体に染み付いています。人間と嘘(虚構)の関係は、Y.N.ハラリ著の「サピエンス全史」では、以下のように述べられています。地球上の人類は、現在ではホモ・サピエンスしかいませんが、熊にはヒグマやツキノワグマなどがいるように、サピエンス以外の人類が同時に数種類存在していた時代が長くありました。人類は、約600万年前にチンパンジーと共通の祖先から別れて、アフリカで進化しユーラシア大陸へ広がりました。その後に分化して、50万年前にはネアンデルタールがヨーロッパや中東で、サピエンスは20万年前に東アフリカで進化します。ところが、3万年前にネアンデルタールが、1.3万年前にサピエンス以外はすべて絶滅します。これは、サピエンスが他の人類を絶滅させたという説が有力で、サピエンスが移動していった地域では、人類以外にも様々な動物が絶滅しています。ネアンデルタールは、サピエンスよりも体格も脳も大きく、火や道具や言葉も使い、初期には優勢でしたが、やがて力関係は逆転しました。

 身体能力が劣り、知能も同等と思われるサピエンスが勝てたのはなぜでしょう。それはより大きな集団で戦うことができるようになったからだと考えられています。安定的に人間関係を維持できるのは約150人が上限であると言われています。顔と名前が一致して、大体どんな人かが分かる数と考えてよいでしょう。軍隊で「中隊」に相当するこの数は、大脳の新皮質の大きさに依存すると言われ、チンパンジーではヒトの1/3程度で、20〜50頭以上の集団は維持できません。この数はネアンデルタールもサピエンスも同数でしたが、7万年前にサピエンスは更に大きな集団を作る能力を身に着けました。それは、言葉で虚構を語る能力です。「昨日あそこにライオンがいた」という単純な情報の伝達ではなく、「俺はライオンの生まれ変わりだ」とか「あいつは悪い奴だ」などという虚実の曖昧なもの、つまり物語を作ることができるようになりました。やがて宗教や神話という虚構を下にして、統率の取れた集団行動ができるようになったのです。

 私たちには物語を作る能力、言い換えれば嘘を上手につける能力が生まれながらにあるのです。だから、噂話が大好きで、騙されやすい反面、進んで共同体のために命を投げ出すような偉業を成し遂げることもできるのです。ただ、物語は医療現場に不要です。人は必ず間違いを起こします。そのため医療事故は日常的に起こります。事実を積み重ねて事故の原因を調べることでしか、次の事故を防ぐことは出来ません。だから事実を述べている限り、個人を罰してはいけないというのが鉄則になるのです。嘘をつくことが本能のようなものだからこそ、嘘つきにならないためには強い意志が必要です。ただ、「嘘も百回言えば真実になる」というように、嘘を繰り返し言うと、他人だけでなく自分さえもが真実と感じるようになるという思考のすり替えも起こるので悩ましいところです。とにかく医療現場では嘘は絶対禁忌です。

掲載日付:2025.03.05

Vol.292 医療機関の経営難から考える

 2月18日付の山形新聞に「病院事業局 赤字最大」という見出しで、4つの県立病院の今年度の経常赤字が、現体制になった08年後以降で最大の36.5億円になる見通しで、赤字額はこれまで最大だった14年度の2倍を超えると報道されていました。コロナ騒動で補助金がばら撒かれ黒字化した病院が続出しましたが、補助金がほぼ終了し、患者減少による医業収入の減少や物価高による経費の増加で、一気に経営の悪化が露呈したようです。経営の健全化の対策として「コンサルタントの活用」が挙げられていましたが、要は収入を増やすか支出を減らすかしかありません。

記事の中で目を引いたのは、年間の医業収益が338億円であるのに対して医業費用は448億円もあることです。医療費用の主なものは人件費と材料費(医薬品や医療機器など)で、過去2年間では人件費が材料費の2倍以上になっています。物価高により材料費は上昇していますが、人件費がかなり多い気がします。当院のような中規模の民間病院と比較しても意味はないかもしれませんが、当院の人件費は材料費の1.5倍程度です。

公務員と民間では同一職種での賃金格差が大きいことが知られています。実は他職種に比べて看護職では官民格差は小さいようです。厚労省の賃金構造基本統計調査では、地方公務員看護師の年収は民間に比べて約16%高いのですが、退職金の差が大きく生涯年収では20%以上の差がつきます。公的機関で人件費を削減することは、労働組合である全日本自治団体労働組合(自治労)の力もあり簡単ではなさそうです。我々民間病院は赤字を出しても税金から補填されることがないので、公務員を羨んでいる暇はなく、自力でなんとかするしかありません。物価に比例して材料費は上昇し、さらに消費税も上乗せされますが、診療報酬は国が定めているので、医療機関が値上げすることはできません。このような中で民間の医療機関が人件費を公務員並みに保ちながら黒字経営をすることは至難の業です。診療報酬を増やすためには、割のよい医療をたくさん提供することです。必要性の低い検査や薬、時には手術までが行われる背景にはこのような現実もあります。コスト意識が、公的機関は鈍く、民間は過敏と言ってもよいかもしれません。

私は、医療とは国民の幸福を最大化するものではなく、不幸を最小化するものだと考えます。誰もが安価で良質の医療を受けられる体制は誇れる制度でしたが、それは高度経済成長と若年人口が多かったから可能でした。その2つが崩壊した今、同じ制度の維持を望むことは不可能です。限られた医療資源を公平に配分するには、優先順位をつけることが避けられません。未来のある若者と先の短い超高齢者を同等に扱うことは平等ですが、公正ではありません。超高齢者への透析導入や回復の見込みのない患者への経管栄養に制限をすることを差別と言えるでしょうか。日本国民のための国民健康保険に、3ヶ月の滞在が認められた外国人が簡単に加入し、本人だけでなく家族までもが高額医療を受け、さらにその大半が公的に補助されるのは公正なことでしょうか。高額医療を受けるためだけに来日する外国人が増加しているのが現実なのです。効果が不明な治療や無駄な検査を控え、湿布や総合感冒薬や抗アレルギー薬などの市販薬を医療機関で処方することを制限しようという動きもありますが、このような取り組みには各種勢力からの強い反対があるでしょう。このような過剰な医療を止めることで不利益を被る人は少しは出ますが、最大公約数の幸福のために諦めてもらうしかないのです。私が最も軽蔑する政治家の一人である菅直人元首相は、平成22年の年頭所感で「最小不幸社会の実現」を目指すと表明しました。私は彼のこの言葉だけは、今こそ噛みしめるべきものだと思います。


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