新庄徳洲会病院

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掲載日付:2021.09.09

Vol.226 絶対的正解などない!

 菅首相が自民党の次期総裁選への出馬を断念しました。彼に決定的に欠けていたのは、国民に対する説明能力ですが、彼をサポートし対応できなかった側近の責任のほうが重大です。マスコミは批判しかしませんが、ワクチン接種が急速に進んだのは、製薬会社に直談判した彼の功績であり、それは評価すべきです。彼がうまく情報を発信できなかったのは、マスコミはもちろん国民にも共通する「失敗を許さない態度」も一因だと思います。複数の政策を客観的に比較して評価することは、同時進行ができないので不可能です。得たものが大きくても、失ったものがあると、マスコミはそちらばかりを強調して批判します。60点は論外で、80点でも満足できず、100点で当たり前という不寛容な姿勢では、選挙を意識する政治家に決断力は望めません。

 「私、失敗しないので」という決め台詞の外科医を描いたドラマがあるそうですが、手術は思い通りに行かないことはめずらしくありません。想定範囲の広い優秀な外科医でも想定外のことは起こります。私は外科医の真価は、そのようなときに対処する能力だと思います。新型コロナ対策も、私を含めて皆が勝手なことを言いますが、実行する当事者は大変です。予測困難なことに無難に対応しようとすると、揚げ足を取られないことを優先し、都合のよい数字だけを「エビデンス」として発表しても不思議はありません。マスコミは政権批判に都合のよい事例をろくに取材もせずに、不安を煽るような表現で拡散します。専門家と称する人たちにも立場があり、純粋科学的な見地からだけで意見を言っているわけはないかもしれません。行政とマスコミと専門家がこれほどバラバラでは、一般人は戸惑うばかりです。私は職員に話すときには、事実と意見を区別するように心がけ、私の意見は間違っている可能性が十分あることを強調しています。私達が直面している問題には、絶対的な正解などないという前提で向き合わねばなりません。
 
 今でも二類指定の見直しをすべきだと考えていますが、それで全てが解決するとも思いません。それによる不利益は必ずあり、命を失う人もいるかも知れません。問題はどちらが被害が少ないかということです。どちらが良いかではなく、どちらが悪くないかです。新型コロナの診療で苦労しているのはほんの一握りの医者です。各々がなすべき仕事を、できるだけ多くの医者で分け合うことが重要です。行政の意向が届きにくい民間病院では、新型コロナの診療に反対する勢力もいます。「国難」や「野戦病院」という言葉を使う一方で、各々ができる最大限の協力をしないというのは如何なものでしょうか。医師法第19条には、診療に従事する医師は、診察治療の要求があった場合には、正当な事由がなければこれを拒んではならないとあり、いわゆる医師の「応招義務」を定めていますが、病院には義務はありません。今年1月の感染症法改正で、コロナ病床確保のために厚生労働大臣や知事は、医療関係者などに協力の「要請」をし、正当な理由なく応じなかったときに「勧告」できるよう権限を強め、従わない場合は公表できるようになりましたが、当初案では「命令」だったようですが、反対勢力により「勧告」にされました。

 ロンドンでは病床数の90%台後半の重症者が出ても医療は崩壊しませんでしたが、東京都では70%前後でも崩壊するのであれば、医者を動員するしかないのでしょう。医師一人を養成するには数千万円の税金が使われます。医師免許があると生活苦に陥ることはありません。ワクチンを優先して接種されたのは、診療中のリスクを減らすためだったはずです。それなのに仕事をしないのであれば、強制的な法律を作られても文句は言えません。自ら進んで参加するほうが国民からも支持されます。その代わりに、国民の側も、そのような状況で働く医師が決定的なミスを侵さない限り、結果だけでヤブ医者だとか医療ミスの烙印を押さないでいてほしいのです。


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