新庄徳洲会病院

menu

<

掲載日付:2025.09.10

Vol.300 壮絶な癌闘病記への感想

 「おい癌め、酌みかはさうぜ(酌み交わそうぜ)、秋の酒」、これは随筆家で俳人の江國滋氏が、食道癌で62歳の生涯を終える2日前に、執筆中の原稿用紙の裏に残した辞世の句です。1997年2月に診断を受けてから自筆の日記と、病状が悪化してから亡くなるまでの25日間は妻の話が闘病記として出版されました。冒頭の句は、そのタイトルにもなりました。氏の次女は直木賞作家の江國香織さんと言ったほうが若い人にはお馴染みかもしれません。

 3月4日に10時間以上に及ぶ大手術を受けた翌日から、集中治療室のベッドに仰向けのままで俳句と日記を記しています。闘病記には、経過の冷静な分析と生への執着、家族や友人への思い、医療従事者への感謝と不満が詰まっています。医療従事者の一人として、普段の何気ない言葉が患者にどれほど強い影響を与えるかを考えさせられますが、編集者はこの本を患者心理学の参考書と呼んでいます。氏は半年足らずの間に計4回の手術に加え、放射線治療も受けています。満足のいく食事も取れない状態で、自暴自棄にならずこのような俳句とともに闘病記を残すことは、文章のプロとはいえ敬服します。その一方で、検査結果や症状に一喜一憂し、闘病記の冒頭にある「残寒や、この俺が、この俺が癌」の句には、癌を特別視していたことも伝わります。また、冒頭の句の前に「敗北宣言」と記していることから、氏が死を「敗北」と捉えられていたと感じさせられます。

 主治医で執刀医のW先生は、私より少し上の世代の外科医です。長い手術の後でも夜遅くに患者を回診する姿は立派で、会話からは彼の誠実な人柄が伝わってきます。私には経験はありませんが、有名人を患者に持つ気苦労が多かったことだろうとお察しします。日本で有数の大病院で指導的立場であることから一流の外科医でもあるのでしょう。W先生が最後まで自分は患者のために癌と闘う姿勢であると氏に宣言し、癌と闘うなとか尊厳死というものを否定していました。氏はW先生のその姿勢に感謝ししつ、疑念も抱いています。経過を通して、様々な原因でかなりの痛みに耐えていましたが、W先生は痛みの緩和にはあまり積極的だったとは思えません。この時期には私も外科医として10年以上の経験がありましたが、私ならもっと積極的に麻薬を使っていたと思います。緩和ケアは、病気の治癒を目指す過程でも共存すべきものです。実際にW先生の部下である若手の医師たちは鎮痛をしっかりするように考えていたことは日記からも伺えます。癌は自分と対立するもので、打ち負かされるのが死であり、打ち負かすのが生なのでしょうか。私は、癌は自分の中に生じた、自分の一部だと思います。人は必ず死にます。死を敗北と見なすのであれば、人はみな敗者になります。死に関わる医療は、敗戦処理なのでしょうか。敗戦処理だとしても意義はあるはずで、死を支える医療は生を支えるものでもあると考えています。

 私はできれば癌で死にたいと思っています。理由は、死ぬ少し前までは普通の生活ができ、ほとんどの癌の痛みは医療の進歩によりコントロールできるからです。お世話になった友人知人に感謝やお詫びの言葉を伝えたいし、家族には氏のような大作は残せなくても短い文章でも残したいと思います。病気に打ち勝つことも医療ですが、うまく負ける援助をするのも医療です。勝ち負けではなく、治る見込みのない患者でも、それによって食事ができるようになったり痛みが取れる手術には大きな意味があります。これは姑息的手術と呼ばれますが、患者の生活の質を上げるという意味で大きな意味があります。私はこのような手術には誇りを持って、慎重に臨んでいます。氏のような辞世の句は詠めませんが、末期癌で死期が迫ったときには、「なあ癌よ、一緒に行こうぜ、火葬場へ」とでも残すことができたらと思います。


menu close

スマートフォン用メニュー