Vol.196 ALSと安楽死の関係
筋萎縮性側索硬化症(ALS)の50代女性が安楽死を求め、二人の医師が実行し自殺幇助罪で逮捕されました。詳細不明のため事件についてはコメントは控えます。ALSは脊髄の運動神経が通っている側索という部分が障害され、手足・のど・舌の筋肉や呼吸に必要な筋肉がだんだんやせて力がなくなっていく原因不明の病気です。中高年で発症することが多く、男性優位で、遺伝することはありません。日本では難病に指定され、1万人弱の患者がおり増加傾向です。
車椅子の天才物理学者と呼ばれたホーキング博士は、20代前半でALSを発病し、余命数年と言われたにもかかわらず、その後50年以上生きてブラックホールの研究などで名を馳せました。その間二度の結婚と離婚を経験し、3人の子供がいることからわかるように、ALSは運動機能は障害されますが、感覚や知能や生殖能力は維持されます。食事が摂れなくなれば経管栄養、呼吸ができなくなれば気管切開や人工呼吸器装着により、知的な仕事をすることは可能ですが、感覚や知能が保たれるゆえに大きな苦痛を味わうことにもなります。進行すると自ら命を断つこともできません。数年前に公開された映画「博士と彼女のセオリー」は、ホーキング博士の半生を描いたもので、主演のエディ・レッドメインの圧巻の演技はアカデミー賞も受賞しました。一見の価値ありです。
私も数人のALS患者の主治医となり、亡くなった方も現在診ている方もおり、今回安楽死を依頼した女性の苦悩は想像できます。気持ちを伝える手段は、技術革新で以前に比べて格段に改善しましたが、それでもかなりの労力を要します。進行すると寝返りもうてず、介護者に委ねるしかありませんが、詳細な希望を伝えられないストレスは絶えずつきまといます。排泄も介護者任せです。そのような状況でも、希望を見出し生きている人たちはたくさんいる一方で、絶望する人もいます。障害者が希望を持てる社会が望ましいと思いますが、苦痛から開放される手段が「死」しかないということもありえます。欧米ではこのような状況では、患者の死ぬ権利を認めるべきだという考え方が広がり、スイスやオランダなどでは薬物による積極的な安楽死を医師が自ら行ったり、薬物を患者が注射するのを手助けする自殺幇助が認められ、我が国からの希望者も増えています。
気管切開も人工呼吸器装着もしないと明言していたALSの患者さんを担当した時のことです。いよいよ気管切開をしないと命を維持できなくなったときに、「このままでは死にますが」と最終確認したことがあります。彼はうなずき、「先生、ありがとう」と言って意識がなくなりまもなく永眠されました。35年を越える医師生活で、死の直前に患者さんから直接感謝されたことはこのときだけです。その時私は、自分のやったことの是非がわからず、複雑な気持ちで、後味の良いものではありませんでした。自分自身がALSになっても、何を望むか何を望まないかは全くわかりません。末期癌であれば苦痛を最小限にします。脳梗塞や認知症では食べられなくなったら、あとは末期癌と同じでよいと思います。ところが、意識がはっきりしているALSでは想像を超えた苦痛と戦わなければならないのです。自分自身で希望を見出したり、愛する人のために生きる道を選択できる人もいるでしょう。逆に底なしの絶望に襲われたり、愛する人をこれ以上苦しめたくないから死を選ぶ人もいるでしょう。本当に人それぞれで、状況が変われば同じ人でも正反対の結論を出すこともあるでしょう。これはきっと答えのない問題なのです。大事なことは答えを求めることではなく、問うことだと思います。正解のない問題を考え続けることです。人の命は地球より重いという生命至上主義も、認知症になったら安楽死という考えにも私は与しません。両極論の間で揺れ動きながら悩み迷い続けることが誠実であるような気がします。