Vol.02 聴診器の発明
正しい診断なしには、正しい治療があり得ないのは今でこそ当然のことですが、この考え方は18世紀までは全くありませんでした。最初に確立した診察法は打診で、オーストリアのレオポルド・アウエンブルガーが、父親がビヤ樽を叩いて中身を調べていることからヒントを得て1750年頃自分の患者の剖検や死体を使った実験で、打診に関する著書を出しました。
当時は全く顧みられませんでしたが、1808年フランスのジャン・コルヴィサールがこれを発見し、フランス語に翻訳し、アウエンブルガーの業績として発表し、実際に応用しました。
しかし、何といっても診断学に革命をもたらしたのは聴診器の発明でしょう。身体の奥から発せられる音を聞くことが役に立つという記述は、ヒポクラテス全集の昔からあり、胸に貯まった水(胸水)や膿の診断に用いられていました。また、17世紀には心臓の鼓動についても記載されるようになります。
聴診器を発明したのは、コルヴィサールの弟子であるフランス人医師ルネ・ラエネック(1781~1826)です。この日ラエネックは、心臓病で苦しんでいる若い女性を診察しましたが、非常に太っていて、打診や触診は役に立ちません。聴診は当時も行われていましたが、患者さんの胸に直接耳をあてるやり方で、若い女性に対しては許されない医療行為でした。子供が長い木の棒の端を耳に当て、仲間が反対側の端をピンでひっかいて音を聞くという遊びにヒントを得たラエネックが、ノートをできる限り固く丸め、一方の端を患者の胸に、反対側を自分の耳に当ててみたところ、直接聞くよりもはるかに鮮明で明瞭な心音が聞こえたのです。これが、聴診器の発明の瞬間で、1816年9月13日がその記念日です。聴診(Auscultation)とはラエネックの造語で「注意深く聞く」という意味のラテン語「auscultare」を元にしています。聴診所見の特徴は発明から20年以上して、オーストリアのヨーゼフ・スコダによってまとめられます。
ラエネックが制作した聴診器は木製の筒状のもので、2つに分割できる構造をしていました。その後、1851年に米国のリアドがY型のチューブを接続した両耳型聴診器を開発し、1894年には米国のボウルズが中高音域の感度を上げた膜型聴診器を考案し、さらに1926年にはやはり米国のスプラーグが膜型とベル型の一体化した今日の原型となる聴診器を作り上げました。最近では音をデジタル処理して、録音再生から、心音図という図形にしてしまうハイテクの聴診器も開発されています。聴診器はステトスコープ(stethoscope)といいますが、これもラエネックの命名で、stethos=胸、skopos=見る道具というラテン語を組み合わせたものです。ラエネックは他にも数々の業績を残し、社会的地位や名誉も手にしますが、45歳で持病の結核のため生涯を終えます。
聴診器は医者の象徴のように思われ、私自身も新米の頃、無造作に肩から提げて、いい気になっていたのを思い出します。
ただ近年、新しい検査がいろいろと開発されるにつれて、聴診器は使われなくなってきています。「咳と高熱で病院にかかったのに聴診もしてくれない」という苦情をいただくこともあります。聴診というお金のかからない、しかも能力のある医者が使えば非常に有用な診断機器を眠らせないようにしなければと自戒しています。
院長 笹壁弘嗣
新庄朝日 第519号 平成17年2月15日 掲載