Vol.107 触れることの効用を忘れずに
定期診察に訪れた高血圧と糖尿病の患者さんが、看護師さんに血圧を測ってもらって、採血と胸のレントゲンと心臓の超音波検査を済ませて、診察室に入ってきました。結果は全て問題ありません。最近の調子を尋ねてから、生活上の注意をすれば診察は終了です。視診や触診のために顔や首を触っても、心臓や肺の音を聞いても新しい情報が得られることは普通はありません。もし異常があったら、それは医者のほうが間違っている可能性が高いでしょう。特に私のような藪医者は、聴診器を当ててもよくわからないことが少なくありません。にもかかわらず、診察をするほうが圧倒的に患者さんから喜ばれます。「じゃあ診察しましょう」と言うとその場の雰囲気がよくなることは珍しくありません。血圧も、たぶん自動血圧計のほうが正確ですが、私が聴診器で測るほうがありがたがられます。
人の身体に触れるとセクハラ扱いされることが多いご時世ですが、医療現場ではまだまだその効用が少なくありません。実は身体に触れることの効果は医療現場以外にも見られるようです。資生堂研究所の主幹研究員で工学博士の傳田光洋氏の「皮膚感覚と人間のこころ」という本には、米国の学術論文からおもしろい研究結果が紹介されています。
①大学の図書館で本を返却しに来た学生の手のひらに図書館員が0.5秒触れると、学生や係員の性別に関係なく、学生の気分は良くなり、係員に対する好感度も上がる。②レストランで支払いを済ませた客に、ウェイトレスがお釣りを渡す際に、客の肩か手に軽く触れると、客の性別に関係なく、触れない時よりもチップの額が増える。③本屋の入り口でカタログを渡される時、店員に腕を軽く触られた客は、そうでない客より長く店にいて(22分対14分)、買い物の金額も増える(15ドル3セント対12ドル23セント)。このような結果からは、人間は他人に触れられると、相手に好感を持つ傾向があると言えそうです。
先進的な医療機器がそろった大病院で医療をすることは、医者にとってはあまり大変なことではありません。検査は電子カルテの画面をクリックするだけ、結果も専門家が教えてくれます。その上でガイドラインに沿った治療を進めるのが、最新の医療と思われていますが、このような画一的な医療にも批判があります。本質的に人は話をして他人と触れ合うことを求めているのです。新しい医療と古い医療とが共存するところに、最善の医療がありそうな気がします。患者さんに触れることを忘れずに、しかも嫌がられない医者でありたいものです。
院長 笹壁弘嗣
新庄朝日 第743号 平成26年6月15日(日) 掲載