Vol.16 胆石の手術の始まり
胆石の治療は胆嚢を切除するのが原則ですが、初めは胆石だけを取り出していました。今ではお腹に小さな穴をあけて腹腔鏡(ふっくうきょう)というカメラを使って取り出す手術が普及しています。紀元前1500年頃のミイラから見つかった胆嚢と30個の胆石が世界最古のものでしたが、第二次大戦で焼失しています。胆石の記録があるのは16世紀で、痛みや熱の原因になることまで知られています。
生体の胆嚢に初めてメスを入るのは、フランスの外科医ジーン・プティです。1743年に急性胆嚢炎で胆嚢に膿がたまっているのを、お腹にたまっていると考え切開したところ、炎症を起こした胆嚢がお腹の壁に癒着していたため、胆嚢まで切開してしまいます。死後にこの患者を解剖したプティは、手術で胆石を取り出せば、治療になるのではと考えます。これを最初に実行するのが、米国の外科医ジョン・ボブスです。1866年に卵巣嚢腫と診断した30歳の女性を開復したところ、大きく腫れあがった胆嚢がありました。胆嚢を切開し胆石を取り出し、切開した部分を腹壁に縫いつけ、胆嚢が皮膚に開口した状態にし、患者は無事に回復します。このような術式を胆嚢瘻(たんのうろう)といい、英国の産婦人科医ローソン・テイトが広めます。彼は1879年から13年間で71例に行い、67例を成功させています。
しかし胆嚢瘻は永続的な治療としては不十分で、傷から胆汁という消化液が生涯にわたり出続ける不快感は軽視できません。そこで胆嚢を切除するという考えが起こるのですが、これを最初に行うのは、ドイツ人外科医カール・ランゲンブフです。動物や人間の死体で、胆嚢を摘出できると確信した彼は、1882年に 15年間胆石の痛みで衰弱し、モルヒネ中毒となった43歳の男性を手術します。この功績は翌年学会で発表されますが、テイトらの胆嚢瘻派から非難を浴びることになります。それでも、1890年頃には胆嚢摘出術はドイツを中心に普及しますが、英国と米国でも広く行われるのは1910年以降のことです。ランゲンブフは、27歳の若さでベルリン北部の貧しい労働者階級の人のための病院の院長となります。30代半ばで胆嚢摘出術を手がけ、55歳で急性虫垂炎のために死亡するまで、名声や権力とは無縁の世界で、黙々と働き続けたそうです。
院長 笹壁弘嗣
新庄朝日 第551号 平成18年6月15日 掲載