新庄徳洲会病院

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掲載日付:2021.09.29

Vol.227 今どきの若者は…

 妻が長期不在となったある日曜日の朝、中学生の息子との昼食と夕食を作る準備のため近所のスーパーマーケットに買い物に出かけました。食材を買い込むために大きめのリュックサックを背負って意気揚々とまずは散歩に出発、帰り道に買い物を済ませました。余計なものまで買い込んだせいか、予想以上に荷物が多くリュックに入り切りません。仕方なくお茶のペットボトルは手で持ち、最後に割れないように10個入りの卵を入れたのですが、どうしてもファスナーが閉まりません。やむを得ず、卵は30%くらいが斜めに顔を出した体勢で背負いました。自宅まで数十メートルというところで、後ろで「グシャ」という不吉な音がしました。振り返るとアスファルトの歩道にパックが落ち、中から4個の卵が飛び出して潰れていました。パックの中で原型を留めているのは2〜3個でした。こういうドジが多い私は、「また、やってしまった~」と慌てましたが、ハンカチはおろかティッシュペーパーもない状態です。

 とその時、「アラ、大変ですね」と後ろから若い女性が声をかけてくれました。卵が潰れた場所は美容室の前で、店員さんが出勤してきたところに、ジャージー姿のみすぼらしい白髪交じりの爺さんが道路にしゃがみこんでいるのに遭遇したようです。彼女は素早く店に入って、「これを使ってください」とレジ袋とペーパータオルを差し出してくれました。感謝しつつ道路に広がった生卵を取ろうとするのですが、なかなかてごわく手間取っていると、さらにその店から男女3人が出てきて手伝ってくれました。レジ袋に潰れた卵とペーパータオルを入れて、パックに残った卵も入れようとすると、「それまだ食べられますよ」と言われ、レジ袋をもう一枚差し出されました。「これで手を洗ってください」とバケツにお湯まで用意して、最後は汚れた歩道の掃除までしてくれました。自分の愚かさと、今どきの若者の優しさを思い知りました。

 今回のコロナ騒動で一番影響を受けたのは子供と若者です。勉学や遊びの機会や労働を奪われた若者は1000万人以上はいるでしょう。その責任は我々大人にあります。「今どきの若者は…」というのは大昔から若者批判に使われてきた言葉です。確かに、自分の子供を含めて今どきの若者はひ弱だなと思うことが少なくありません。私の少年時代は、高度経済成長が始まった頃でしたが、小学校の帰り道に傷痍軍人が物乞いをする姿を見たことがあります。経済的に豊かになり、今の若者の多くは貧しい社会を見ることなく成長できました。ただ、彼らは、今日より明日、明日より明後日がよくなるという希望を持てない社会で生まれ育ったような気がします。努力が報われる確率が高い社会ではなく、どうせ頑張っても大して変わらないという社会です。父祖の世代は、希望が持てる社会を残してくれましたが、私達はそれを怠ってきました。

 今どきの若い医師は、医学の進歩に伴い膨大な知識が求められます。また、患者さんではなく患者様として対応することを求められるので、型にはまっている感は否めませんが、昔の医者に比べて遥かに丁寧で親切です。私のような偏屈者は、今の日本では医師失格の烙印を押されるでしょう。彼らに媚びる気はありませんし、まだ彼らに教えられるものも持っているつもりですが、今どきの研修医は大変だなと常々思っています。今どきの若者に救われて、改めてこれからの残り少ない人生を、彼らの邪魔をしないだけでなく、少しは彼らが生きやすくなる社会を作る力にならねばと思いました。パックに残った卵で作った納豆オムレツ(単に納豆と卵を混ぜた卵焼き)は、結構美味しく再度彼らに感謝し、その日の午後に改めて店にお邪魔してお礼を言いました。本当にありがとうございました。もう一つ自分の愚かさから学んだことは、卵のパックは上下の衝撃には強い構造なので、下に入れたほうがよいということです。


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