新庄徳洲会病院

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掲載日付:2019.11.01

Vol.173 続、認知症患者には自己決定権はないのか

 80歳代後半のAさんは物忘れが目立つようになり、精密検査を受けたところ、初期のアルツハイマー型認知症と診断されました。母親が認知症になり悲惨な最期を迎えたので、自分はそうなりたくないと、「認知症が進行して、何もわからなくなったら、延命処置をしないでほしい。肺炎になっても抗生物質を処方せずに死なせてほしい。」という生前の事前指示書(リビング・ウィル)を記し、家族も了承しました。2年後に認知症が進行し、家族の顔もわからなくなりましたが、施設で介護を受けながら自分で食事を摂り、読書をして穏やかに過ごしていました。ある日、高熱を出して病院を受診したところ、肺炎と診断されました。入院して抗菌薬の点滴を受ければ元の状態に戻る可能性は高いと思われます。さて、このときに事前指示書に従うべきでしょうか。

 これは、松田純著「安楽死・尊厳死の現在」(2018、中公新書)の中で、認知症患者の事前指示書がある場合に、症状が進行する前の意思と現在の意思のどちらを尊重するのかを問う設問です。事前指示書にある通りに抗生物質は投与せず、死に至ればそれもやむなしとするか、安定していた病気前の状態に戻ることを期待して治療を行うかということです。Aさんは事前指示書を書いたことは覚えていません。理性的な判断能力があったときの決定に従うのか、現在の判断能力を最大限に尊重していくのか、これは難しい問題です。

 認知機能の低下には程度の差があり、多くがグレーゾーンです。認知症になったら死んだほうがマシだと言う人はいますが、その中で実際に認知症になった人はいません。判断能力のあるときに、認知症についてきちんと理解している人もほとんどいないと言っても過言ではないでしょう。したがって、事前に示した意思が理性的かどうかは甚だ怪しいと言えます。家族との語らいや三度の食事や入浴などのような、認知症になる前は大した価値を見いだせなかったことが、重大な関心事や喜びになることもあります。「そんな状態なら生きていたくない」と思っていた人が、「こんな状態でも生きていたい」と考えが変わることは十分にありえます。このような価値観の変容を受けいれた上で、対処すべきであるという松田氏の意見は傾聴に値します。認知症患者でも本人の意思を最大限に尊重し、現在の本人の意向を優先すべきであると私も思います。認知症は自己決定能力がないというのは、無知で傲慢な考えです。

 事前指示書が万能でない場面は、これ以外にもいろいろあります。いつも携帯しているわけではないので、決断すべきときに効力を発揮できないことや、医学の進歩によって記載時点とは医療の選択肢が変わっていることは十分にありえます。また、記載内容がすべての状況を網羅できないので役に立たないこともあるでしょう。これを書いたから安心できるとは言えないのです。

 医学の進歩により尊厳のない生を目の当たりにした反動として、尊厳のある死を求めるような趨勢があり、日本尊厳死協会というものも生まれたのでしょう。私は会員ではありませんが、12万人を超えたそうです。本来なら「医療基本法」を制定し、その中で、終末期医療で患者の意思の尊重が明確に規定されることが望ましいのでしょうが、我が国は法整備が世界的に見ても遅れています。人は思うように生きられませんが、思うように死ぬこともできません。せめて死を忌むものとして遠ざけずに、身近のものとして感じながら生きるように心がけたいものです。


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