新庄徳洲会病院

menu

<

掲載日付:2018.10.15

Vol.160 大師匠から学んだことは

 私には大師匠と呼べる外科医がいました。医者になって初めて勤務した病院の院長兼外科部長のK先生です。初期研修と外科研修で計6年間薫陶を受けました。日頃は院長業務が多忙で、外科医として直接指導を受けたことはほとんどありません。とにかく怖い存在で、週に一度の部長回診は緊張の連続で、毎回のように説教が待っていました。若くて不甲斐ない私を十分に指導する時間と機会がないので、せめて短い間に鍛えようとしておられたのでしょう。回診終了後には研修医の控室で放心状態になっていたことは今となっては懐かしい思い出です。

 その病院を退職後、近況報告や季節の挨拶をするとたいそう喜んで、電話をくださいました。こちらは緊張のあまり直立不動で「ハイ、ハイ」と返事をするだけでしたが、「外科医としてはどこでも通用する技術を身に着けたから、それを生かして、病める人のために尽くしてあげなさい」と何度も聞かされました。ときどきは長文の手紙までいただきました。そんな先生が卒寿を迎える頃、最後になるかもしれないと、奈良市のご自宅に山形から出かけていきました。とても喜んでくださり、奥様ともども歓迎してくださいました。その後も電話や手紙のやり取りは続きましたが、昨年サクランボをお送りした後に、奥様からお電話をいただき、4月に亡くなられたと知らされました。ひっそりと身内だけで葬儀も済ませたとのこと、生前のK先生らしい静かな終わり方でした。

 不思議なことに、離れて時間が経つほど、K先生を身近に感じるようになりました。直々に手術を習ったわけではないのですが、すべてK先生から教わったと感じるのです。私を指導してくれた外科医の多くが、K先生の直弟子だったからかもしれませんが、先日、津軽三味線を全国に広めた故高橋竹山の次のような言葉を目にして納得しました。それは「師匠というものは、間違いのない基本を正しく教えればよい」というものです。何度も何度も外科医としてのそして医者としての基本を繰り返し叩き込まれたから、そのように思えるのだと。

 医学に限らず、人にものを教えるときには、伝えたいことが十分に伝わらないことが多いのですが、ときに教えた覚えのないことが伝わることがあるように思います。それが教育の醍醐味かもしれません。K先生は偉大な教育者だったのはそれができる人だったからです。私も還暦を過ぎ、初めて出会ったときのK先生と同年代になりましたが、私が教えていないことを私から学んだ後輩がいるとは到底思えません。K先生、やはり私は不肖の弟子でした。

院長 笹壁弘嗣
新庄朝日第847号 平成30年10月15日(月) 掲載


menu close

スマートフォン用メニュー