Vol.14 初めての開腹術
宗教上の制約から長い暗黒の時代を経て、医学が再び進歩し始めるのは16世紀以降で、近代外科手術が花開くのは19世紀後半のことです。当時、医学の中心はヨーロッパで、全身麻酔が広まったのが19世紀中頃なのですが、初めての開腹術は、意外にも19世紀の初頭に、当時は医療後進国であった米国の田舎町で行われます。術式は、卵巣腫瘍の摘除-正確には腫瘍を切開して内容を出し腫瘍の一部を取り除く手術―でした。
当時は腹膜を切開し腹腔内に立ち入ることは死につながると考えられていました。この「常識」に挑んだのは、一人の勇気ある外科医と、彼をその気にさせた開拓者魂に満ちあふれた一人の女性患者でした。ケンタッキー州の片田舎に住む、その街でただ一人の外科医エフレイ・マクドウェルは、1809年冬、ジェーン・トッド・クロフォードに往診を依頼されます。当時46歳だった彼女は、お腹が膨らみ陣痛のような痛みがあったので妊娠と思っていたのですが、いつまで経っても分娩の徴候がありません。マクドウェルの診断は、巨大な卵巣腫瘍で、彼女にとっては死の宣告でした。
クロフォードは、手術を切望し単身100km離れた彼の診療所(普通の自宅)へ馬に乗ってやってきます。特別な器具も麻酔もなく、もちろん点滴をするわけでもなく、手術は居間の机の上で従兄弟の助けを借りて行われ、左下腹部が20cm切開され、10kgもの腫瘍とゼラチン様の内容が摘除されます。彼女は賛美歌を唱えながら25分間の手術に耐え抜きます。時は1809年12月25日クリスマスの日曜のことです。術後経過は良好で、25日後にはまた単身馬に乗って家路につき、78歳で天寿を全うします。マクドウェルは、その後少なくとも14例の同様の手術を成功させます。当初彼は激しく非難されますが、 1826年には脚光を浴び、1879年には自宅があったケンタッキー州ダンヴィルの地に記念碑が建てられます。
1932年、クロフォードが往復した道路にケンタッキー州は"ジェーン・トッド・クロフォード通り"と名付け、123年前の冬、馬の背中で痛みに耐えながらはるばるやってきた彼女の勇気をたたえます。余談ですが、手術の年、彼女の家からわずか50km離れた丸太小屋で、第16代合衆国大統領リンカーンが生まれています。
院長 笹壁弘嗣
新庄朝日 第547号 平成18年4月15日 掲載