新庄徳洲会病院

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掲載日付:2025.05.28

Vol.295 黄緑と薄紫の季節

 先月、研修医時代の仲間だったN君から著書が送られてきました。彼は、40年以上前に別々の大学を卒業して、同じ病院で医者としての道を歩き始めた10人の中の一人です。ある政令指定都市の精神科医として小さな子どもから思春期までの若者に向き合って来た軌跡を、定年を機にまとめた彼の三十数年の集大成と言える本です。N君は優秀なだけでなく、私とは対照的な明るい性格で、周りから愛されていましたが、その後も存分にその強みを活かして活躍していたことが文章から伝わってきました。長年にわたって多くの若者とともに紡いできた心のカルテを読んでいると、彼の真摯で明るい人柄が伝わってきます。趣味も多彩で、文学や芸術の造詣も深く、スポーツも続けており、若者と話が合うように若者文化にも親しんでいます。一緒に過ごしたのは2年間でしたが、その後も時々連絡があり、2年前に山形での研究会の際にわざわざ新庄まで訪ねてきてくれて以来、メールのやりとりをするようになりました。

 私は、10年以上にわたって1日130km以上の長距離を車で通勤していましたが、2年前から単身赴任生活になり、月に2〜3度の新幹線移動をするようになりました。以前は季節を肌で感じていましたが、今は病院とアパートの直径3km以上離れたところへ行くことがほとんどなくなり、季節はおろかその日の天気にも鈍感になってしまいました。5月半ばに新緑の中を進む東北・山形新幹線からは、田起こし前から田植えが終わった水田の風景が続きます。特に山形県内の山中では、雪に覆われた景色に変わって常緑樹の深緑と対照的な「萌えいづる新緑」の黄緑が車窓の間近に続きます。その中に見え隠れする枝垂れるヤマフジやベル型のキリの薄紫色は、ことさら美しく思わず見とれてしまいます。私の出身高の校名に「紫」が入っていたので、部活のユニフォームも薄紫色であったからか大好きな色です。

 N君の本は、地元紙に連載されたコラムが中心なため一編一編は比較的短く、老眼の私にも読みやすい大きな字で書かれているので新幹線内で読むには最適です。ふと外を見た時に、前述の景色が広がり、「山笑う」という春の季語がピッタリだなと思ったのは、N君の文章に、万葉集から俵万智までの詩歌がたびたび引用されていたからです。春の野の歌でも読めればよいのにと頭をめぐらしてみましたが、全く反応しません。中学高校の同級生が、新聞などに掲載された自作の俳句や短歌をメールで送ってくれるのですが、17文字や31文字のような短さで何かを伝えることができる才能には感心します。私は人前で話すことや文章を書くことが多い方ですが、短い時間や文章で伝える技術は本当に難しいと思います。職員には短く要領よく話すようにと言いながら、自分は会議での話が長いと不評を買っています。また、カルテは文学ではないので、読み手を感動させる必要はなく、わかりやすくだけでなく、誤解されないように、ただ一通りの解釈しかできないように書くようにと強調していますが、これも自分では実践できてはいません。

 私のコラムを読んだ知人の医師に、「君の文章は怒りに満ちている」と指摘されたことがあります。確かに、医療やその他の社会制度の矛盾や問題点を取り上げて、少し上から目線で理屈っぽく怒りを込めて書いていることは認めざるを得ません。もともと地元のフリーペーパーに依頼されて始めたものですが、それが終了後も継続しているのは、自分が気になったことを自分の頭に刻み込み整理するためでした。職員へのメッセージや数少ない友人へ生存確認でもありましたが、予想以上に読まれていることを考えると、怒りを抑えてN君のような文章も書けるようになりたいと思いました。N君、少しは君に近づけたでしょうか。自分で読み返すと、やはり私には「優しさ」よりも「怒り」が似合う気がします。


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