新庄徳洲会病院

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掲載日付:2024.08.17

Vol.284 スポーツにおける性別問題

 パリ五輪の女子ボクシングで、性別疑惑の二選手が金メダルを獲得しました。当初は生物学的には男性で性自認が女性であるいわゆるトランスジェンダー女性と、その後は外性器は生まれながらに女性であるにもかかわらずY染色体を有する性分化疾患の一種であるアンドロゲン不応症(男性ホルモンに対する反応が先天的な病気)と言われていますが真偽は不明です。国際ボクシング協会(IBA)が過去2回行った性別検査で、Y染色体の存在とテストステロンという男性ホルモンが高い値を示したことから、世界選手権に参加できなくなりました。外性器の確認は行われていません。国際オリンピック委員会(IOC)とIBAは、政治的背景により対立しており、今回の五輪では、パスポートで女性とされているというIOCの判断で参加が認められました。

 過去10年で急速に増えているトランスジェンダーは、若年の生物学的女性が性自認が男性と主張することが圧倒的多数でしたが、スポーツ界では、男性的な身体的特徴を持つ人が女性と称して女子スポーツに出場することが問題になっています。本来の女性がスポーツ界から排除されるだけでなく、身体接触を伴う競技では安全性が損なわれる懸念もあります。今回はボクシングという格闘技で、実際にパンチを二発受けた時点で危険を感じて棄権した選手もいました。

 女子スポーツにおける性別問題は昔からあり、1964年の東京五輪で共産圏からの選手に疑惑が持たれたことがきっかけになり、性別検査が行われるようになりました。当初は女性選手が全裸で医師団の前を歩かされることもあったようですが、68年のメキシコ五輪からは口腔粘膜から採取した細胞でY染色体の有無を調べるようになりました。しかし、このやり方も人権侵害として96年のアトランタ五輪が最後になりました。その後、南アフリカの陸上競技選手が女子としては速すぎることから男性ではないかと疑われたことから、男性ホルモンであるテストステロンを測定し、それが高いと女子としては参加はできないという方法で再開されました。

 この選手は、テストステロン値が高く、精巣があると報じられており、これが事実であれば、アンドロゲン不応症の可能性が高いと考えられます。この疾患にはホルモン感受性の違いによって様々な種類があり、陰茎がある人から外性器はほぼ女性で膣がある人までいます。この選手は女性と同姓婚していますが、中には男性と結婚している人もいます。今回のアルジェリアの選手も同様の可能性がありますが、詳しい検査をしないと結論は出ません。出たとしてもこれは個人情報であり本人が公表しない限り知ることはできません。近年流行りのトランスジェンダー女性は、ホルモン治療を受けテストステロン値が低くなるので、女子スポーツに出場させるべきだという声が強い一方で、厳しい制約を課すべきだという声もあります。

 ヒトの基本はメスであり、Y染色体があると男性ホルモンが機能してオスになりますが、分化の過程で様々な障害が生じることがあり、分類困難な個体が一定数現れます。男女の定義を明確にすることが難しい中で、多くの競技が男女別に行われるスポーツの世界では、平等と安全を両立することは不可能です。だからこそ、各競技団体には明確な基準を作る責任があります。男女別を廃止すると、すべての人が平等に参加でき、検査も不要になりますが、女性が排除されることが多くなり、危険性も高まります。一方、Y染色体がないことを条件とすると、生まれてからずっと女と思っていた自分が、突然男だと宣告される悲劇も起こり得ます。このような混乱の中で正解を見つけるのは容易ではありませんが、スポーツにおけると男女の定義が、一般社会におけるものとは一線を画すものだと周知した上で、Y染色体を選ぶのが現実的だと思います。

掲載日付:2024.08.08

Vol.283 豪雨災害に少しだけ関わりました

 7月25日の豪雨では、山形県内でも死者2名・行方不明1名の人的被害のほか、住宅の浸水・道路の崩壊・停電や断水など大きな被害がありました。私の病院がある新庄市では、救助要請に出向いた山形県警の20代の警察官二人が最上川の支流である新田川でパトカーごと流されて殉職されました。誠に痛ましいことです。事故現場の上流で新田川は病院の前を流れており、病院の反対側の堤防と農道が約20mにわたって崩落しました。過去20年間で最も水位も高くなり、川沿いにある付属保育園の園児も病院に避難してもらいました。

 私はもしもに備えて病院に待機していました。幸い病院には被害はありませんでしたが、近隣の介護施設が腰の高さまで浸水し、1階の入居者を2階に移動するだけでは追いつかず、25日の夜遅くに17人の緊急避難を受け入れました。管理当直や応援に駆けつけてくれた職員と、受け入れスペースの確保と環境整備などに当たりました。当院の中でも安全性が高く、一箇所に集めることができる場所として、多目的室が妥当と判断して、マットレスを各所から調達し、シーツを敷きました。豪雨の中を消防団員に連れられて避難したので、濡れている人が多く、病衣やヘアドライヤーも準備し、オムツも必要になりました。

 26日の午前1時過ぎに一段落しましたが、その直後に、20人ほどの追加受け入れを要請されました。多目的室はこれ以上使えないので、休床中の病棟を急いで整備し、何とか朝までに間に合わせることができました。出勤してきた職員のおかげで、最終的には34人全員を一つの病棟にまとめることができました。栄養科の職員には朝食をお願いしました。食事内容もご飯から軟らかいお粥、おかずも細かく刻むことまで、立派に成し遂げてくれました。それ以後も、生活の場と給食の提供は継続しています。道路の復旧は進んでいるようで、患者の送迎バスの運行は平常に戻りました。医薬品や医療消耗品は少し遅れた程度で、当初は十数名いた出勤できない職員もなくなりました。病院の機能としては大きな問題はありませんでしたが、周辺の町村では、浸水した家屋もあり、断水が続いている地域もあります。復旧にはかなりの時間と労力が必要です。

 今回得た教訓は以下のようなものです。まず、職員が被災すると戦力がダウンするということです。十数人が出勤不能になりましたが、これが数倍になったら病院は機能不全に陥ったでしょう。看護部は部長が避難所暮らしとなりましたが、副部長のリーダーシップで事なきを得ました。事務長も避難したため、行政とどのように連携したらよいかが私はわからず、避難した人を預かることしかできませんでした。次に、有事の際には休床中の病棟はいろいろなことに使えると高をくくっていましたが、実際はそこが物置に近い状態となっており、まずそれを撤去することから始めなければなりませんでした。緊急手術ができるのは、日頃からいつでも手術可能な状態にしているからで、まさに「段取り八分、仕事二分」です。ベッドはたくさんあってもマットレスが全然ないということも把握できていなかったので、稼働中の病棟や外来の観察室から調達することになり今も影響が残っています。避難者のほとんどが女性で、初期対応した職員がすべて男性であったため、夜勤の女性看護師に応援してもらって、必要物品を揃える必要も生じました。とはいえ混乱はあったものの、大過なく乗り切れたことは、多くの職員の協力の賜物です。私が26日の朝礼で話したことは、①自分や家族の安全を最優先する、②日常業務のレベルをできるだけ維持する、③その上で可能な限り被災者への援助をする、の3つです。どうしていいかわからない事態に直面したときにどのように振る舞えるかが、人間としても成熟を表すのでしょう。職員の成長を喜ぶとともに、己が未熟者であることを再認識した2日間でした。

掲載日付:2024.07.20

Vol.282 「研修医の誤診」に対する違和感

 6月17日に新聞・テレビで「研修医が誤診、男子高校生が死亡」という医療事故報道がありました。病院側の記者会見と公開資料によると概要は以下のとおりです。昨年5月に日本赤十字社愛知医療センター名古屋第二病院に、16歳の男性が嘔吐が続くため救急搬送されました。担当した2年目の初期研修医が診察し、「急性胃腸炎」の診断で帰宅させました。翌日に症状がよくならないので再診し別の研修医が診察して同様の診断で、よくならないようなら開業医を受診するようにと帰宅させましたが、症状が続くため翌日に開業医を受診したところ、「腸閉塞」の診断で同院の消化器外科へ紹介されました。検査で上腸間膜動脈症候群(SMA症候群)の疑いで同院の消化器内科に入院しましたが、入院後も大量に嘔吐し、脱水が強く点滴で補正し、不穏も見られたので鎮静剤が投与されました。その日の深夜に心肺停止となり、16日後に死亡しました。

 まず感じたのはSMA症候群で救急搬送され、翌日には心肺停止になるような事があるのだということです。この病気はあまり知られていませんが、腹部の大動脈とそこから前下方に出る上腸間膜動脈(SMA)の間にある十二指腸が血管に圧迫され詰まってしまい、上流の十二指腸と胃が拡張して、吐いたり痛みが生じるというものです。若い痩せた女性に多く、食後に吐くことを主訴に受診することが多く、救急外来では経験することは少ないと思います。今回のような患者を診て考えるのは、消化管穿孔や腸閉塞や急性胆嚢炎などの見逃しては命に関わる病気であり、それを除外するために採血やCT検査がなされています。その結果、「急性胃腸炎」を疑ったことはさほど問題はないと思います。ただCT検査で胃が高度に拡張していることに対する問題意識が少なかったことは反省材料です。患者の基礎疾患の有無などの背景はわかりませんが、初診時にSMA症候群と診断できなかったことは大きな問題ではないと思います。

 2度目の受診では、少なくとも上級医への相談はすべきでした。「同じ症状で2回救急受診した患者は原則入院させる」と私は厳しく教えられ、後輩にも伝えてきました。この病院での上級医への相談が行われなかった原因や背景は検証すべきですが、それには報告書では言及されていません。開業医から紹介され、CT検査の結果でSMA症候群を疑い入院させたことは正しい判断です。問題はこの後の治療です。大量に嘔吐し、不穏であったため経鼻胃管(鼻から胃に入れるチューブ)を入れなかったようですが、鎮静が必要なら、たとえ人工呼吸器管理をしてでも行うべきだったと思います。その後に鎮静剤を倍量投与したことは医療者側の意思の疎通ができていない点で問題です。急変してから約2週間の経過は記載されていないので、何が死因なのかもわかりませんが、入院後の初期治療の不備が最大の問題だったと私は感じます。

 二人の研修医の判断は正しいとは言えないでしょうが、これを前面に出す事例ではないと思います。また1年以上経過してから記者会見を行ったのはなぜでしょう。外部の専門家を委員に含めた院内医療事故調査委員会を設置して原因の究明と再発防止策を検討したようですが、資料を読んでも釈然としません。ご遺族が病院ヘのメッセージで、「研修医の誤診」という言葉を何度も使っていることから、病院から告げられていることは間違いないでしょう。この医療事故の本質は、未熟な研修医が診断できなかったことではなく、病院としての初期対応が不適切だったことです。SMA症候群の診断がつけられないことはさほど恥ずかしいことではありませんが、急性胃拡張を減圧もせず放置したことは、特にこのような大病院の場合、体質が問われるべきです。私もいつ記者会見をしなければならない立場になるかわかりませんが、医療事故に対しては、謙虚な姿勢で正直にありのままを説明するしかないと思います。


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