Vol.292 医療機関の経営難から考える
2月18日付の山形新聞に「病院事業局 赤字最大」という見出しで、4つの県立病院の今年度の経常赤字が、現体制になった08年後以降で最大の36.5億円になる見通しで、赤字額はこれまで最大だった14年度の2倍を超えると報道されていました。コロナ騒動で補助金がばら撒かれ黒字化した病院が続出しましたが、補助金がほぼ終了し、患者減少による医業収入の減少や物価高による経費の増加で、一気に経営の悪化が露呈したようです。経営の健全化の対策として「コンサルタントの活用」が挙げられていましたが、要は収入を増やすか支出を減らすかしかありません。
記事の中で目を引いたのは、年間の医業収益が338億円であるのに対して医業費用は448億円もあることです。医療費用の主なものは人件費と材料費(医薬品や医療機器など)で、過去2年間では人件費が材料費の2倍以上になっています。物価高により材料費は上昇していますが、人件費がかなり多い気がします。当院のような中規模の民間病院と比較しても意味はないかもしれませんが、当院の人件費は材料費の1.5倍程度です。
公務員と民間では同一職種での賃金格差が大きいことが知られています。実は他職種に比べて看護職では官民格差は小さいようです。厚労省の賃金構造基本統計調査では、地方公務員看護師の年収は民間に比べて約16%高いのですが、退職金の差が大きく生涯年収では20%以上の差がつきます。公的機関で人件費を削減することは、労働組合である全日本自治団体労働組合(自治労)の力もあり簡単ではなさそうです。我々民間病院は赤字を出しても税金から補填されることがないので、公務員を羨んでいる暇はなく、自力でなんとかするしかありません。物価に比例して材料費は上昇し、さらに消費税も上乗せされますが、診療報酬は国が定めているので、医療機関が値上げすることはできません。このような中で民間の医療機関が人件費を公務員並みに保ちながら黒字経営をすることは至難の業です。診療報酬を増やすためには、割のよい医療をたくさん提供することです。必要性の低い検査や薬、時には手術までが行われる背景にはこのような現実もあります。コスト意識が、公的機関は鈍く、民間は過敏と言ってもよいかもしれません。
私は、医療とは国民の幸福を最大化するものではなく、不幸を最小化するものだと考えます。誰もが安価で良質の医療を受けられる体制は誇れる制度でしたが、それは高度経済成長と若年人口が多かったから可能でした。その2つが崩壊した今、同じ制度の維持を望むことは不可能です。限られた医療資源を公平に配分するには、優先順位をつけることが避けられません。未来のある若者と先の短い超高齢者を同等に扱うことは平等ですが、公正ではありません。超高齢者への透析導入や回復の見込みのない患者への経管栄養に制限をすることを差別と言えるでしょうか。日本国民のための国民健康保険に、3ヶ月の滞在が認められた外国人が簡単に加入し、本人だけでなく家族までもが高額医療を受け、さらにその大半が公的に補助されるのは公正なことでしょうか。高額医療を受けるためだけに来日する外国人が増加しているのが現実なのです。効果が不明な治療や無駄な検査を控え、湿布や総合感冒薬や抗アレルギー薬などの市販薬を医療機関で処方することを制限しようという動きもありますが、このような取り組みには各種勢力からの強い反対があるでしょう。このような過剰な医療を止めることで不利益を被る人は少しは出ますが、最大公約数の幸福のために諦めてもらうしかないのです。私が最も軽蔑する政治家の一人である菅直人元首相は、平成22年の年頭所感で「最小不幸社会の実現」を目指すと表明しました。私は彼のこの言葉だけは、今こそ噛みしめるべきものだと思います。