Vol.297 オオスズメバチに学ぶ
単身赴任になって、新幹線で移動する時間は読書に当てることが多くなりました。それまでは、医療関係や時事問題のエッセイやコラムを集めたものが多く、小説を読むことは新聞の連載小説くらいでしたが、往復6時間以上を使ってある程度長い小説を読むことが増えました。先日は百田尚樹著「風の中のマリア」を読みました。氏の本は10冊以上は読みましたが、大ベストセラーの「永遠の0」に匹敵する作品でした。百田氏の作品は、ストーリーが優れているのはもちろんですが、卓越した文章力により難解なことが理解しやすいという特徴があります。
主人公のマリアは、オオスズメバチのワーカー(働きバチ)で最強の戦士です。昆虫の世界を擬人化し、彼女の短いながらも波乱万丈の一生を描くことで、「生きる」ということを考えさせてくれます。擬人化した物語は、動物が人間的に描かれすぎる傾向があり、あまり好きではありませんでしたが、本作品は自然の厳しさの中で、昆虫がこんな感情を持っているかもしれないと思わせます。本書の巻末にある養老孟司氏の解説の冒頭に、「極めて学術的に描かれていながら、同時に冒険小説のように力強く感動的なドラマ」と評されている通りの作品です。スズメバチのような社会性の昆虫の社会構造、性の決定システム、どのような昆虫を捕食するのか、オオスズメバチとセイヨウミツバチとニホンミツバチの関係、スズメバチの社会が続くための女王バチ殺しの実態、新たな女王バチが誕生する過程、等などがわかりやすく描かれていながら感動的に展開します。百田氏は自らの学歴を、最底辺の高校を卒業し、同志社大学法学部を中退したと語っていますが、この作品のために読んだ本と専門家への取材は膨大なものと思われます。彼の知識の吸収は、砂漠が一気に水を吸収するだけでなく、緑地に変えてしまう力を感じます。その点からだけでも、彼の集中力は天才的と言えます。
物語は秋に生まれた女王バチが交尾した後、春の訪れとともに帝国を作り上げていく過程で、数多くの働きバチ(すべてメス)が生まれ、妹を増やし最終的に多くの女王バチ候補を育てる様子が綴られています。マリアは来る日も来る日も、昆虫を殺し肉団子にして巣に持ち帰って幼虫である妹たちに与え、妹が出す蜜を栄養源として受け取ります。彼女が、姉や他の昆虫から様々のことを学び成長していく1ヶ月間が物語の中心で、オスのハチとのつかの間の出会いがあり、メスでありながら恋をして子をなすこともない現実に向き合い、これが終盤の布石にもなります。マリアは「運命に従う勇者」として生涯を終えますが、未来への希望も描かれています。
人間は脳が発達したおかげで巨大な社会を作り上げて発展させましたが、同時に不都合なものは排除し、その手段は時代とともに大規模かつ苛烈になりました。戦争や過剰な自然破壊はその典型です。人間界では悪役として描かれることが多いスズメバチは、必要以上の狩りはしません。我々は弱者を救済することも、排除することも、自己の利益のためにうまく利用することもあります。物理法則に反するリサイクルや再生可能エネルギー、自然の摂理に反する「性自認」という概念などをもてあそんでいる人はこの作品を読んでみたらどうでしょう。新たな女王バチを生み出すために生を受けながら、そのほとんどが願いを叶えることなく死んでいくスズメバチの世界の厳しさを、本能が低下してしまった現代人は知ったほうがよいと思います。本能を失った生物に未来があるとは思えません。私は、質素な家庭でしたが、公的な教育だけで医者になり、多くの先輩と後輩の力を借りて臨床医としてやってきました。人類への貢献や立身出世とは無縁で、私が死んでも足跡など何も残らないでしょうが、それでよいと思います。マリアにはとても敵いませんが、彼女のように死んでいけたらと心から思うことができる作品でした。