新庄徳洲会病院

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掲載日付:2019.12.05

【山形】「最新」と「最善」を間違ってはいけない‐笹壁弘嗣・新庄徳洲会病院院長に聞く◆Vol.3

山形県新庄市にある新庄徳洲会病院は、最上医療圏で唯一の民間病院として、急性期から慢性期までを担当している。最上医療圏で徳洲会の理念「生命だけは平等だ」をどう実現していくのかなどについて、新庄徳洲会病院院長の笹壁弘嗣氏に話を聞いた。(2019年10月8日インタビュー、計3回連載の3回目)

――徳洲会の理念「生命だけは平等だ」を地域医療で実現するにあたっての課題は何でしょうか?

 徳洲会はこの理念を達成するために「いつでも、どこでも、誰でもが最善の医療を受けられる社会」を目指しています。「いつでも、どこでも、誰でも」はアクセスの問題で、「最善の医療」はクオリティの問題です。これにコストの問題も加えて、3つのバランスをとることが大事だと思います。

 日本は医療へのアクセスはいいですが、過疎化が進んでいくとアクセスは悪くなります。限界集落に住みつつ医療へのアクセスを求めるのは無理だと思います。コストについても日本はかなりうまくいっている方だとは思いますが、今後の医学の進歩によってコストは高くなってくるだろうなと思いますし、国民皆保険制度がだんだん崩れ、自由診療が入り込んでくる可能性はあります。

 クオリティについては、ものすごく難しいですよね。私は「最新」と「最善」を間違ってはいけないと思うのです。新しいことにみんな飛びつきますが、本当にそれは人を幸せにできるのかというのは、分かりません。もし素晴らしい最新治療があったとしても、それを誰にでも、何歳になっても適用していいのかという問題もあります。

 本当の「最善」とは何か。それは「いつでも、どこでも、誰でもが、ほどほどに医療を受けられる社会」と考えるのが現実的じゃないかと思うのです。アクセスをあまり落とさず、コストをあまりかけずに、とんでもなく悪い医療を受けないで済む社会を目指す、という価値観を共有した方が、制度の網目から落ちこぼれる弱者や貧者は減っていくと思います。ある程度の年齢になったら節度を持って「今の日本の医療レベルだとここまでできるけども、私は受けません」というような人がかなりの数出てくればいいのですが、かなり難しいだろうと言わざるを得ません。

 この地域で当院が徳洲会の理念をどうやって果たしていくか。それは、医療にアクセスできない人たち、他の病院から出て行ってくれと言われたような人たち、褥瘡まみれで見捨てられている人――そういう人たちを相手に、自分たちができることをやってあげることだと考えています。

――全国的にアドバンス・ケア・プランニング(ACP)を広げていく機運が高まっていますが、それについてはどう思われますか?

 言うのは簡単ですが、本当にACPを理解できる人がどれだけいるか。死ぬということを真面目に考えている人はどれだけいるのでしょう。私はものすごく少ないと思います。表面的な見方しかできていないと思うのです。

 私はこんな経験をしています。確かALSの患者さんだったと思いますが、呼吸がだんだんできなくなってきたときに、気管切開を勧めました。しかし、その患者さんはやりたくないと言い、そのまま亡くなられました。本人の意思は何度も確認しましたし、家族にも言葉を尽くして、本人の意向を伝えました。トラブルは特に起こっていませんし、自分は間違ったことをしたとも思っていません。

――その方自身が望んだ逝き方ができたのですね。

 それが、実はよくわからないのです。彼は呼吸ができなくなることがどういうことなのか、本当に分かっていたんだろうか。私は、喉に餅を詰めた時の呼吸困難についてはイメージとして分かるのですが、神経難病で呼吸ができなくなる時のことは、正直言ってよく分からないです。彼は適切な判断を下したのか? でも、あの状況で本人の意向を無視して気管切開するのは倫理に反することだと思います。

 もし自分が神経難病になった時にどのタイミングで安楽死を選ぶか、どれぐらいの延命処置を望むかというのは分からないです。医師であっても、自分がどういう状況になった時にどう思うか、今から予測できない。そう考えると、ACPはそんなに簡単なものじゃないですよ。本当に難しい問題です。

 それでも「分からないけども自分はこうする、そのことに対して自分が責任を取る」という覚悟がないと医師免許の価値はないと思うのです。それだけの覚悟がなければ、人の生き死に携わるべきではない。今のところは責任を持って医師をやるつもりでいます。



新庄徳洲会病院院長の笹壁弘嗣氏(右)と事務長代行の秋本浩二氏(左)


◆笹壁 弘嗣(ささかべ・ひろし)氏

宮崎医科大学(現・宮崎大学医学部)を1984年に卒業し、天理よろづ相談所病院、茅ヶ崎徳洲会病院、千葉徳洲会病院、羽生総合病院などを経て、2005年より新庄徳洲会病院に入職し、現在に至る。日本外科学会専門医。


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