新庄徳洲会病院

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掲載日付:2019.12.05

【山形】医療と医療の隙間を埋め、弱者を拾う‐笹壁弘嗣・新庄徳洲会病院院長に聞く◆Vol.1

 山形県新庄市にある新庄徳洲会病院は、最上医療圏で唯一の民間病院として、急性期から慢性期までを担当している。最上医療圏における地域医療の課題や周囲の医療機関との住み分けなどについて、新庄徳洲会病院院長の笹壁弘嗣氏に話を聞いた。(2019年10月8日インタビュー、計3回連載の1回目)


――新庄徳洲会病院がある山形県の最上医療圏について、地域医療の現状をお聞かせください。

 山形県は4つの医療圏に分かれており、東北側に位置する最上医療圏は新庄市と7つの町村で構成されています。村山・置賜・庄内の3つの医療圏には23~55万人が暮らしていますが、最上医療圏には7万7895人しかいません(2015年時点)。私が15年前にこの病院に赴任してきたときは9万2000人以上いたと記憶しておりますので、それだけ人口減少が進んだということです。

 高齢化も一番進んでいる地域です。高齢化と人口減少はさらに進み、おそらくあと数年で高齢者の絶対数が減少し始めるでしょう。地域医療構想によると、2025年には6万7536人にまで減ると推計されています。

 また、山形県は面積が広く(全国で第9位)、最上医療圏の面積は香川県全域とほぼ同じです。香川県の人口は96万人ですので、最上医療圏の人口密度は香川県の1/10以下という計算となります。かなりスカスカな状態です。

 この広大な最上医療圏に病院は4つしかなく、新庄市に当院と山形県立新庄病院が、北側にある真室川町には町立真室川病院が、宮城県側にある最上町に町立最上病院があります。最上医療圏の中核病院として急性期を担っているのは新庄病院です。当院(新庄徳洲会病院)は急性期の一部と慢性期、リハビリ、維持透析を担当しています(一般178床、医療療養48床、回復期リハビリ44床)。真室川病院や最上病院は慢性期病棟のみです。最上町はできる限り地域の中で完結させようという動きがあり、必要に応じて少し患者の行き来があるという程度です。



新庄徳洲会病院の外観

――新庄徳洲会病院は最上医療圏で唯一の民間病院ということですね。

 昔は近くに維持透析をする病院があったのですが、廃業して今は廃墟になっています。この地域で透析ができなくなってしまったので、住民が徳洲会の前理事長である徳田虎雄先生に「病院を作ってくれ」とお願いしたそうです。「それなら、透析だけでなく何でもできる病院を作ろう」ということで270床の病院を建てた。これが当院です。1998年、今から21年前のことでした。

 設立当時は全国から医師を集め、派手にアドバルーンを上げました。しかし、医師がなかなか定着せず、地域住民や開業医の先生からは信頼を得られないままになっていた。しかも2004年に山形徳洲会病院ができ、そちらにスタッフが異動してしまいました。私が当院に着任したのはその翌年のことです。

 開院当初は近隣の病院との対抗意識があったようですが、私が来てからは方々に頭を下げて住み分けを目指しました。当時は加入していなかった医師会にも入れてもらいました。そもそもこの地域には医療資源が乏しいですから、競合するメリットがないのです。喧嘩してもしょうがないですからね。

 私が着任してからは、周りからのアイデアを取り入れ、回復期リハビリ病棟や障害者病棟を作りました。そして周辺の病院に説明し、どんな患者さんでも送ってくださいとお願いして回りました。医療と医療の隙間に落ち込んでしまうのは、多くが弱者です。私たちの役割はその隙間を埋めることだと思っています。

――地域の人口が減っていくなかで、新庄徳洲会病院は今後どのようになっていくのでしょうか。

 規模としては縮小せざるを得ないでしょう。その代わり「機動力」を活かしていきたいですね。例えば、他の病院では MRI検査を受けるのに1カ月待つことがあるのですが、当院では受診当日にできる検査はなるべく実施するようにしています。規模が小さい分、身軽に動いて、すぐ反応してあげられるようにしたいです。

 あとはどれだけ在宅医療に手を伸ばせるかですね。当院は訪問看護や介護、通所・訪問リハビリといったツールを持っています。しかし、先ほども申し上げた通り、この地域は人口密度がとても低く、次のお宅に訪問するのに車で40分かかるという状況がよくあります。何らかの形で医療や介護を受ける方々を集約しないと、在宅医療はできないと思います。もし住民の集約化が実現できたなら、在宅での看取りは私たちが最も得意とする分野になるはずです。


◆笹壁 弘嗣(ささかべ・ひろし)氏

宮崎医科大学(現・宮崎大学医学部)を1984年に卒業し、天理よろづ相談所病院、茅ヶ崎徳洲会病院、千葉徳洲会病院、羽生総合病院などを経て、2005年より新庄徳洲会病院に入職し、現在に至る。日本外科学会専門医。


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