新庄徳洲会病院

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掲載日付:2020.04.01

Vol.179 PCR検査も万能ではない

検査は病気の診断に役立ちますが万能ではありません。新型コロナウイルス感染症の診断には、ポリメラーゼ連鎖反応(PCR)という検査が行われていますが、これはウイルスや細菌の遺伝子を数百万倍に増幅して検出する方法で、これを考案したアメリカ人科学者キャリー・マリスは1993年にノーベル化学賞を受賞しています。

 PCRによって微量の遺伝子を容易に確認できるようになったことは画期的なことですが、これも万能ではありません。病気があると100%陽性になり、ないと100%陰性になる検査は、理想的ではありますが、私の知る限りありません。必ず偽陽性(病気がなくても検査が陽性)と偽陰性(病気あっても検査が陰性)があります。検査の信用性を評価するために、「感度」と「特異度」という指標が用いられます。前者は「病気のある人が陽性になる確率」で、後者は「病気がない人が陰性になる確率」で、新型コロナウイルスのPCRは、感度は30〜70%、特異度は90%程度と言われています。

 この検査を行ったときに検査陽性となった人が実際に病気である確率(陽性適中率)がどれくらいかを考えてみましょう。コロナウイルスに感染している人が10%の集団があるとします。10%ということは、日本中で1200万人以上が感染しているということになり、現実にはありえませんが、クルーズ船では起こりえます。1万人の集団を考えると、表1のようになります。真の陽性が700人に対して、偽陽性が90で、陽性適中率は700÷(700+90)×100で約90%となり、かなり役立つことがわかります。ところが、感染している人が0.1%の集団では表2のように全く役に立たないことがわかります。0.1%でも日本中では12万人になるので、現状よりはかなり高いのですが、この条件では陽性適中率は約6.5%となってしまい、陽性の人が感染しているとは言えないことになります。

 この数字は感度を最高としたものなので、実際はこれよりもさらに悪い結果になるでしょう。検査は病人がある程度はいる集団に対して行わないと意味がないのです。クルーズ船などの閉鎖空間で発生した場合や流行地域からの帰国者にはどんどんやるべきですが、今のところ感染者の報告がない山形県で片っ端から行う必要はありません。医師が疑いがあると判断した患者が受けられないことは問題がありますが、山形県内の検査能力は1日あたり70件程度はあるようで、現状では心配ありません。ちなみに3月26日現在で165件中陽性者はいません。

 今後導入が予想される迅速検査は、感染が起こってから血中に形成された抗体を測定するので、特異度は上がり感度は低下するでしょう。いずれにせよ、症状が軽くて元気な人は、検査検査と騒がないほうがよいと思います。感染していても元気な人は、他人に移さないように自制することです。私たち医療者は、重症化した病人に向き合います。そのためには一般の人よりも自制が求められるのは言うまでもありません。



掲載日付:2020.04.15

Vol.180 医療崩壊を防ぐために大事なことは?

 新型コロナウイルス感染症の人口100万人当たりの死亡者数の経時的変化を国別にグラフ化したものが、札幌医科大学医学部附属フロンティア医学研究所ゲノム医科学部門から公開されています。これを見ると、先行した中国を韓国とイタリアが同じペースで抜き去っていくのですが、その後もイタリアが上昇する一方で、韓国は徐々に緩やかなカーブを描きます。この差はどこから来るのでしょうか。両国の大きな違いは高齢化率(人口に占める65歳以上の人口比率)です。イタリアは日本に次ぐ世界第2位で22.8%、一方韓国は14.4%です。中国での新型コロナの死亡率が、若年では1%未満であるのに対して、80歳以上高齢者では15%くらいになることからも、高齢化率はかなり影響しそうです。

 ところがイタリアより1週間遅れて感染が拡大したドイツも、世界6位の21.5%ですが、人口あたりの死亡数はイタリアの1/10以下です。PCR検査の100万人あたりの実施数は、イタリアもドイツも11000件以上で、イタリアのほうが多く行っていることから関係なさそうです。医療の供給体制はどうでしょうか。イタリアは緊縮財政の影響で、病院・医師・看護師が慢性的に不足していたところに、大量の患者が出たため、医療の需要と供給のバランスが崩れてしまったようです。これはイタリアに続いて感染が拡大し、今では人口あたりの死亡者数がイタリアをも抜き去ったスペインも同様です。重症患者を治療する集中治療室(ICU)のベッド数を見ても、イタリアが人口10万人あたり12床であるのに対して、ドイツでは30床あります。やはり医療の供給体制は大きな要因のようです。

 高齢化率27.8%で世界1位の日本はどうでしょうか。西ヨーロッパや米国の増加速度に比べて、韓国や中国などアジア諸国は遅いのですが、日本の死亡者数は、非常に(異常に?)少なく、増加速度も中国や韓国よりさらに遅いのです。ただ、両国がピークを過ぎたのに対して、ダラダラと増え続けています。その理由は専門家も分からないようです。常識的には爆発的に増えることはなさそうですが、油断はできません。

 「医療崩壊」を防ぐためには、供給体制を整えることと需要を減らすことが重要です。我が国のICUのベッド数は人口10万人あたり5床とドイツの1/6ですが、これを急に増やすことは難しいでしょう。ただ、人口1000人あたりの急性期病床数はドイツ6.0に対して、日本は7.8です。今ある病床をうまく使い回すことで対応は可能ではないでしょうか。人工呼吸や人工肺などの医療機器の増産も叫ばれていますが、時間がかかるでしょう。医療従事者を増やすことはもっと時間を要します。つまり供給を増やすことには限界がありそうです。

 では需要を減らすのはどうでしょうか。韓国はいち早く軽症者を病院から出すことで、需要を抑えたと言われています。我が国でも遅まきながら無症状者や軽症者を病院から出す動きが始まりましたが、いずれ自宅での経過観察も選択肢に入るはずです。その際には、家庭内での高齢者への感染を防ぐことが重要です。ただ、日本で死者が爆発的に増えるのは、介護施設に感染が広がった場合ではないかと思います。実際、イタリアやスペインでの死者の1/5〜1/4が介護施設の入所者と言われています。病院も、高齢者や基礎疾患のある人が多いので注意を要しますが、感染予防対策が確立され、スタッフの知識や技術も高いことが多いので、介護施設のほうがリスクが高いような気がします。介護施設の職員が感染を持ち込まない努力をすることは当然ですが、感染が起こった時の対応がキーポイントのような気がします。

掲載日付:2020.04.22

Vol.181 ゼロリスクというリスク

 厚生労働省クラスター対策斑の西浦博教授は、対策を講じないと40万人以上の死者が出ると数理モデルを使って指摘しました。40万人以上というのは100年前のスペイン風邪での死亡者と同等なので、ありえない数字ではありません。新型コロナウイルス感染症対策専門家会議の河岡義裕教授も、これまで少ないからこれからも増えないと考えるのは危険であると述べています。ただ、我が国の死亡者がそこまで増えるには、人口あたりの死亡者数が日本の400倍であるイタリアやスペインのさらに10倍近いレベルにならなければなりません。地方の一臨床医である私には実感できないのですが、このようなことが起こるとすると、「医療崩壊」が起こったときであることは間違いありません。

 医療を崩壊させないためには、需要と供給のバランスを維持することです。PCR検査は万能ではなく、感染者が少ない集団に行うことは利点がないと以前に書きましたが、医師が疑っている場合にも迅速に行われない現状は問題です。保健所は多くの電話に対応できず、検査機関は限られた人数と検査機器で青息吐息の状況では、見かけの感染増加を遅らせても、結局は医療の需要を増やしてしまいます。準備期間が十分でなかったのでしょうか。

 医療の供給体制にも問題があります。全国の大学病院のうち新型コロナの患者を受け入れているのは1/4以下で、「コロナは一切診ない」と公言し、入口前にテントを張って、来院者全員の体温を測定し、熱があれば近くの感染症指定病院に行くよう促す都内の大学病院や、感染症の専用病床が20以上ありながら、受け入れに極めて消極的な病院もあるそうです。確かに、新型コロナの患者の診療には感染予防面で多大な労力を要するので、他の診療に影響が出るだけでなく、それ以外の患者が減少するので収益はマイナスになります。我々も医療の原点を忘れてはなりませんが、医療の安全や経営を行政側が支援するのも不可欠です。

 需要を最も減らすのは、無症状や軽症者を病院から出すことです。山形県内でもその動きがあるようですが、感染者が増えてからでは遅いのです。宿泊施設や自宅へ感染者を出すことは、感染のリスクを増やしますが、医療が崩壊するほうが悲惨な結果になります。ある程度の準備ができたら早急に始めるべきです。

 それでも入院患者が多くなると、医療資源が平等に分配できなくなることが予想されます。その際には、選別をせざるを得なくなります。実際に欧米では高齢者に対する集中治療を行わない事例が報告されています。これまでも大災害の現場では、助かる患者を増やすために「トリアージ」と呼ばれる生命の選別が行われてきました。「人の命は地球よりも重い」と言う考え方が支持される戦後の日本ですが、せめて末期癌などで余命が短い人や超高齢者には、酸素吸入以上の延命治療は行わないという程度の指針は国レベルで出すべきです。私も生命を選別したくはないですが、いざとなればその覚悟はあります。自分が感染するリスク、愛する人に感染させるリスク、感染しても入院できないリスク、入院しても集中治療を受けられないリスク、そして不条理に命を失うリスクなど、私達の前にはいろいろなリスクがあります。努力をした上で、リスクを受け入れる覚悟を持つべきではないでしょうか。ゼロリスクのすぐ後ろには巨大なリスクが待ち構えているような気がします。私自身が患者になり、死ぬことも十分にある年齢になり、「60を過ぎたら、死ぬことを考えて生きるのが知性だ。いつまでも生きたいというのは欲望ってぇんだよ。」という落語家の立川談志が残した言葉をこれまで以上に胸に刻んでいます。

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