新庄徳洲会病院

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掲載日付:2019.04.26

Vol.167 休日を国に恵んでもらうのはやめませんか

 今年は天皇の即位に伴い、通常の国民の祝日が16日から19日に増えます。4月末から5月初めには前例のない10連休が設定されました。楽しみにしている人もいるでしょうが、私は全く逆の気持ちです。当院は、もとのカレンダー通り4月30日から5月2日は通常通りの業務を予定しました。外来が休診でも入院患者にはいつもどおりの治療やケアが必要なので、病院には完全休業はありません。今回のような長期間の休みがあると、職員のやりくりは大変です。

 ある調査では、今回の10連休を歓迎しているのは、①学生、②公務員、③会社員で、逆に歓迎しないのは、①アルバイトや非正規職員、②専門職、③主婦という結果でした。歓迎するのは確実に休める人です。非正規労働者は10日間も仕事がないと収入が激減してしまいます。主婦は、夫や子供たちがずっと家にいるとたまったものではないのでしょう。医療などの専門職は、休日でも仕事がなくなるわけではありません。家庭のある職員は、その間子供の面倒を見ないといけなくなるので、仕事ができないこともあります。休みが多いと手術や検査の件数は減るので、病院経営者は頭をかかえます。

 国民の祝日は、我が国は年間16日ですが、これは国際的に見てもかなり多い方で、主要先進7か国(G7)の中でも堂々の1位です(米;10、加;13、英;8、仏;11、伊;13)。一方で、有給休暇の取得率は低く、実際の休暇日数(祝日+有給休暇消化数)はフランスよりも10日以上少なく、その他の国と比べても低水準です。個人では決められないかわりに、お上から恵んでもらっているという感じです。古代ギリシアの時代から労働は奴隷がするものであった国と、額に汗して働くことは美徳であるという我が国の古くからの文化の違いとも言えるかもしれません。皆が一斉に休むので、仕事以上の疲れを覚悟して行楽地へ突撃しなければならず、道路はのろのろ、鉄道はぎゅうぎゅう、挙げ句にホテルはとれないことになります。働きたい人は働き、休みを取りたい人は自分の都合で取れるようにするのが、働き方改革ではないでしょうか。

 そもそもこんなに多くの国民の祝日は必要なのでしょうか。それ以外にも、大晦日や正月三が日、盆休みなどは多くの人が一斉に休みます。祝日はいろいろあってもいいと思いますが、それを必ずしも休日にする必要はあるのでしょうか。海の日や山の日を休日にする意味は全く理解不能です。昭和48年から始まった振替休日制にも私は反対です。祝日が日曜日と重なった場合は、運が悪かったと思うことのほうが健全だと思います。休日が連続するようにとの思惑で始まったハッピーマンデーも、私にはアンハッピーマンデーでしかありません。このような政策は、経済効果だけを考えたものとしか思えません。前回の東京オリンピックの開会式が10月10日であったためにその日が体育の日になりましたが、今はハッピーマンデーでまちまちになり、来年からはスポーツの日に名称も変わるようです。国に休みを決めてもらわなくても、個人が思い思いに休みを取れるようにすべきです。国民の祝日は静かに祝えばよいのです。ろくに休みもとっていない仕事中毒の私が、このようなことを言うのは、天に向かって唾を吐くということになるのでしょうが・・・

院長 笹壁弘嗣
平成31年4月26日(金)

掲載日付:2019.04.01

Vol.166 透析をやめますかと提案するのは、あり?、なし?

 東京の公立福生(ふっさ)病院で、慢性腎不全で血液透析を受けていた44歳の女性が、医師から提案された透析中止を選択して死亡したという報道が話題になっています。これに対して、「医師が死の提示をすることは日本透析学会のガイドラインに反する」、「患者に中止の判断を迫るのは酷であり、道徳的に問題がある」、「医学本来の目的に反し、自殺幇助に近い」など、病院側に批判的な意見が多く見られる一方で、患者の自己決定権を尊重する立場からは問題なしとする意見もあります。

 腎臓が機能しなくなったときに生命を維持するためには、①腎移植・②腹膜透析・③血液透析のいずれかが必要になりますが、①はドナー不足、②は手技が煩雑で管理に手間がかかるため、我が国では圧倒的に血液透析が行われています。血液透析を行う際には、短時間に血液をたくさん抜いて浄化した後に再び身体に戻すため、手の動脈と静脈をつなぐ内シャントという回路を作ることが多いのですが、これが詰まった場合などには、一時的に首や太ももの太い静脈に入れたカテーテルを用います。今回の患者は、内シャントが閉塞し、この病院に紹介された際に、透析中止という選択肢も提示されたようです。この病院では、過去5年くらいの間にこの患者さんを含めて4人の血液透析を中止し死亡していることからも、一時の思いつきではなく既定の方針なのでしょう。

 患者に透析を始めるかどうかは、年齢や全身状態を考慮した上で決めます。透析をしても末期癌などで生命を長期に維持できない場合や、透析に耐えられる体力がない場合は導入できません。実際には、寝たきりに近い超高齢者には積極的に勧めないことが多いと思いますが、要望されると拒否できません。いったんしないと決めても、患者の気持ちが変われば行うことは可能です。同時期にこの病院では透析を導入せずに死亡した患者が17人いるという事実だけでこの病院を責めることはできません。

 では、透析を中止する場合はどうでしょうか。この患者は、透析を続けることが苦しいと訴えたそうです。透析には肉体的・精神的にかなりの苦痛を伴うことがあります。透析中止が死を意味するということを理解した患者が、それを選択する権利はあると思います。この病院でも、十分説明した上で、文書に署名され、その決定を撤回できることも説明しているようです。私は、これを医の倫理に反するというのは筋違いだと思います。学会のガイドラインには当てはまりませんが、ガイドラインは時代とともに変わるものであり、すべての患者に無条件に当てはめなければならないものではありません。

 ただ、この患者には精神疾患の既往があることや、家族が急病になり話し合いが十分にできなかったことを考えると、進め方が拙速だった可能性があります。また、苦しくなった患者が透析の再開を考えたときに、透析をしてほしいのか、苦痛を取ってほしいのかという二者択一を迫り、後者を選択した患者に鎮静剤を投与したことが死に至る直接の原因である可能性は問題視すべきかなという気がします。この状況で透析の中止という選択肢は、私なら提示できないだろうと思います。

 今回のことは全くの誤りではないものの、少し慎重さに欠けたというのが私の感想です。その後の議論を聞いていると、過剰な医療が行われている一方で、自己決定権尊重やインフォームド・コンセントが、選択を患者に丸投げする道具になっているような気がします。医療現場に「理」が必要なのは言うまでもありませんが、「情」のない医療現場は殺伐としているのではないでしょうか。

院長 笹壁弘嗣
平成31年4月1日

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