新庄徳洲会病院

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掲載日付:2014.11.15

Vol.112 一人で死ぬことは悲劇ではないけれど

 10月15日号の山科美津子さんの「頑固者」を興味深く読みました。87歳の義兄が自分の意志で一人暮らしを続け、誰にも看取られずに自宅で亡くなった後で発見されたお話です。大往生と言ってもよい最期で、私の理想でもあります。このような死に様は「孤独死」と否定的に呼ばれることが多いのですが、一人で死ぬこと自体は悲劇ではありません。ただ一つ間違うと惨状を呈することがあります。結城康博氏による「孤独死のリアル」を参考に、今後増加することが予想される孤独死について考えてみます。

 孤独死という言葉が市民権を得たのは阪神淡路大震災後です。厚労省は独居の高齢者だけをイメージさせるので孤独死ではなく、孤立死という語を用いていますが、どちらにも定義はありません。平成23年にニッセイ基礎研究所が公表した調査研究報告書によると、死後2日以上経過して発見された人は、推計で年間3万人です。これは在宅死の20%、総死亡の2.5%を占めます。 

 今では病院で死ぬ人が80%ですが、昭和35年頃は20%に過ぎませんでした。飛躍的に病院死が増えたのは、医療が身近になったことが大きいのですが、経済的要因も忘れてはなりません。国民皆保険制度は昭和36年に実施されましたが、初期の自己負担率は今より高い50%でした。その後の高度経済成長により、医療費の上昇にも対応でき、自己負担率も減少しました。今また経済的な理由から在宅死を増やそうとしてるのは、悲しいことですが現実です。これからは在宅死が増え、結果的に孤独死も増えることは間違いありません。

 冒頭の主人公は、毎日電話をしてくれる遠方に住む娘さんが異変を察知して3日後に発見されました。もしこれがもっと遅れていたら悲惨なことになっていたはずです。死体は時間とともに腐敗が進みます。腐敗がひどいと、後の処理は大変で、特に家屋に染み付いた異臭には、大掛かりなリフォームが必要になります。悲惨な孤独死にならないためには、死後早い段階で発見されることが重要です。これは個人の努力だけでは足りません。もともと孤独死するのは身寄りのない高齢者、特に周囲との関係を持たない男性に多く、自治会や民生委員の関わりにも限界があります。安否確認のために新聞や乳酸菌飲料などの宅配業者と連携する自治体もあります。在宅医療が果たす役割も大きくなるはずです。日頃から医療機関にかかっていると、死後の警察による死因の究明も大掛かりにならずに済む可能性があります。命を伸ばすことだけが医療ではありません。死を支えることも立派な医療なのです。

院長 笹壁弘嗣
新庄朝日 第753号 平成26年11月15日(土) 掲載

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