新庄徳洲会病院

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掲載日付:2007.06.15

Vol.25 最新の医療と最善の医療

 「最新の医療」というと夢のようなすばらしいものと感じる方が多いのではないでしょうか。ところが、弱肉強食の世界である米国では、「貧しい人は最新の医療を、金持ちは最善の医療を受ける」と言われているそうです。これは、「最新の医療はその効果や安全性がまだ確立されていないので、そのための実験台になってくれる人が必要であり、貧しい人はそれに無料で参加する、一方、裕福な人はお金をかけて安全性の確立した医療を快適な環境で受ける」という意味です。

 かつて「最新の医療」として注目を集め期待されながら、今では全く顧みられなくなってしまったものは数多くあります。また、新しい医療には未知のトラブルがつきまとい、症例を重ねることによって少しずつ安全性が高まることはしばしばあります。例えば、胆嚢を摘出する手術は、腹腔鏡による方法が15年以上前からわが国でも始まり、数多くの症例が蓄積され、いろいろな合併症を経験することで、安全なやり方が徐々に確立され、今では広く普及しています。この過程で命を落とした方もいます。医学の進歩はそのような尊い犠牲の上にしか成り立たないのは、100年前と本質的には変わっていないのです。

 一方、「最善の医療」にも問題があります。たとえ同じ病気であっても、病気の状態によって治療方針は異なります。例えば胃癌であっても、内視鏡で取れることもあれば、手術でないと取れないこともあれば、手術することが無意味なことさえあります。また、同じ病気で同じ進行具合であっても、患者さんの年齢や健康状態によって治療方針は左右されます。働き盛りの40歳と、寝たきりで意識のない90歳では、治療が異なることの方が多いでしょう。

 さらに、患者さんがどのような人生観を持っているかによっても治療は変わってきます。日頃から健康や老化や病気や死について考えていない方は、いざ病気になったときに、どうしてよいかわからなくなることが多いように思います。

 もう一つ、日本の医療保険制度の制約を受けるという問題もあります。例えば私が病気になりその最善の治療を受けるために10億円の医療費が必要だとします。その治療に医療保険が適応されていないとすると、自費でということになりますが、私にはその財力はありません。もし医療保険が適応されていたとしても、私にはそれを受ける値打ちがあるとは思えません。となると、次善の医療を選択するしかありません。以上のようなことはかなり極端な例ですが、日本で当然のように行われている血液透析が、アフリカでは受けられないということは普通にあるのです。

 このように最善の医療というものも問題を抱えており、簡単に他人から選んでもらえるのものではないのです。

院長 笹壁弘嗣
新庄朝日 第575号 平成19年6月15日 掲載

掲載日付:2007.06.11

Vol.24 人口流出と高齢化が進む東北の地方都市での私達の挑戦

何を求められているか、何をすべきか、何ができるか?

 昭和59年宮崎医科大学(現宮崎大学医学部)を卒業した私は、幅広く臨床を学べる研修の場として、奈良県にある天理よろづ相談所病院を選びました。

 当時はまだ珍しい総合診療方式で、2年間内科を中心とした研修を、次いで4年間にわたる一般外科のトレーニングを受けました。仕事にも慣れ、少し余裕もできた4年目のある日、突然心臓外科への出向を命じられました。そこで気づいたのは、同じ病院内でも、ものの見方や考え方が異なるということです。ということは、天理病院の外にはまた違った世界があるはずと考え、全く誰も知った人のいない環境で武者修行をすべく、関東へ行くことを決意しました。

 平成2年春、茅ヶ崎徳洲会総合病院に飛び込んでみて、それまでの自分の長所と短所がよく見えてきました。私のような普通の人間には「他者との交じり合いによる比較」がいかに重要であるかということです。その後十数年間、いろいろな病院で優れた先輩や後輩に恵まれました。特に羽生総合病院でお世話になった、故門田俊夫先生は大恩人です。外科の知識や技術はもとより、医療に対する考え方やリーダーとしての行動力は「門田イズム」として、今も私の中に深く根付いています。

 そんな私が、専門化の細分化が進んだ都会の医療に限界を感じ、高校卒業以来漠然と考えていた医療過疎地での仕事に挑んでみることになったのは3年前の秋のことです。東北地方は深刻な医師不足(最上地区の医師数は全国平均の62%)であると聞かされて、どうせやるなら厳しいところでと考え、全く縁もゆかりもないこの地に、家族を引き連れやってきました。

 新庄市は、山形県の内陸の北部に位置する豪雪地帯です。春には、目にも鮮やかに緑がいっせいに芽を吹き、花が咲き乱れ、周囲の山々の残雪とのコントラストは感動的です。その一方、冬は長く厳しく、一晩で車が埋もれるほどの雪、道路にはそそり立つ雪の壁。そうです、除雪作業なしには新庄では生きていけないのです。この非生産的な業務は、個人レベルでも病院レベルでも、雪国が抱える大きな負担になっています。

「一人勝ち」では地域医療は成り立たない

 当院の診療圏である最上地区は、1市4町3村からなり、人口約9万2千人。65歳以上の高齢者は約27%です。公的な病院として、県立新庄病院と3つの町立病院がありますが、それぞれ深刻な問題を抱えています。財政難と医師不足から、有床診療所になる予定の町立病院があり、県立病院も急性期病院として長期的に存続していけるかどうか、不透明な状況です。

 昨年末、地域医療について行政側も交えて協議し、すべての病院と診療所が協力体制を築くことで合意しました。この地域では助け合わないことには、医療が成り立たず、「一人勝ち」はありえないのです。では、民間病院である私たちの役割はどうなるのでしょう。
 まず、患者さんの受け入れを円滑にすることです。雪国には、「越冬入院」という言葉があり、雪に閉ざされた冬の時期は、高齢者が自宅で過ごすことが大変な場合が少なくありません。リハビリや療養目的の患者さんの受け入れも含め、医療相談員を増やし、周囲の病院や診療所、さらにはケアマネジャーとの連携を強化しました。それによって、“ブラックボックス”と呼ばれていた当院の存在が、周囲にも認知されるようになりました。

 次に、退院もスムーズにしなければなりません。医療相談員は、退院後の施設への入所や在宅への移行にも最大限取り組み、在宅サービスとして訪問看護・訪問介護・通所リハビリを充実させました。
 さらに、医療圏が広いために、送迎バスも定期便だけでなく、個別の送迎にも力を入れました。月間の延べ利用者は約4千人、走行距離3万キロの車両関連の仕事には職域を越え、多くの職員が手を貸してくれています。

 このような取り組みは、要するに「どんなニーズがあるか」に敏感になるということです。そのためアンテナを張り巡らし、広く意見を取り入れるように心がけています。除雪作業も、方法を見直し、職員も作業に関わることで年間約2百万円の節約に成功しました。このような一連の動きはすべて、大友看護部長や成田事務長をはじめとするスタッフの提言によるものです。

3つの意味での「よい病院」になるために

 院長に就任して以来、一貫して私が言い続けているのは、当院を3つの意味でよい病院にしようということです。

 まず何といっても患者さんにとってよい病院です。これは一言で言うと「患者さん中心の医療」を行うということです。そのためには、すべての職種のスタッフが患者さんを取り囲むように位置して、連携しながら専門性を発揮することが必要です。

 次に、地域の方にとってよい病院です。当初は、高齢者に重点を置いた医療講演や友の会活動を行ってきましたが、もっと若者に目を向けなければならないのではと考え始めました。この地域の人口が減少する理由の一つに、「地元に残りたいけど仕事がない」ということがあります。医療関係の資格を持っていれば、十分に生活していけるということ。しかも医療に関わる仕事はとてもやりがいがあることを、地元の中学生や高校生たちに訴えています。現代の若者に一番欠けている「希望」が、この病院を通して見出せるのなら、こんな嬉しいことはありません。

 最後に、職員にとってもよい病院、つまり、朝目覚めて、「よし、今日も仕事だ」という気持ちになってもらえる職場でありたいのです。医療は、サービスを提供する側が感謝されることが多く、それゆえに、やりがいを見つけやすい職業なのです。一人ひとりが“生命だけは平等だ”という理念のもとに、独自の夢や目標を持って、自己を向上させる場にしたいものです。

 医師不足解消の切り札のない私には、医者が少なくてもできる医療を考えることが、この3年間の取り組みのすべてです。人口の流出と高齢化が進む地方都市での私達の挑戦はまだまだ続きます。

 皆で頑張りましょう。

院長 笹壁弘嗣
徳洲新聞 №573 直言 平成19年6月11日(月) 掲載

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