新庄徳洲会病院

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掲載日付:2005.01.15

Vol.01 はじめまして新庄

 2004年9月28日、雨の横浜を車で出発し、新庄に到着したときに私を迎えてくれたのは、暮れゆく山並みに浮かぶ中秋の名月でした。それ以来、あふれる自然に魅了され、往診のたびに色づいていく山々の美しさにため息をついていました。例年にない遅い初雪の後は、ようやく冬らしくなり、雪国を知らない身には厳しい環境が見えてくるかもしれませんが、今のところ一面の銀世界も十分魅力的です。

 また、美味しい米と水にも感激し、当然うまい酒にもお世話になっています。新庄の地に生まれ育った方には、当たり前すぎて、かえってその良さがわからないかもしれませんが、京都に生まれ、大学は宮崎、医者になって最初の6年は奈良、その後神奈川・千葉・埼玉を14年間渡り歩いた私には、当地の環境のすばらしさは、強い感銘を受けるものです。

 10月の新潟県中越地震では、着任草々病院を離れ、救援医療チームとして被災地に入り、避難所での医療活動に参加することができました。震度6の余震には少し驚きましたが、テレビや新聞ではわからない現場の雰囲気を肌で感じ、避難民の方々と交流ができた3泊4日は、医者になって初めての貴重な体験でした。そんな日は来ないほうがいいのですが、新庄が災害に襲われたときはその経験を少しでも生かさなければなりません。病院として平時から備えを怠らないよう、シミュレーションをしながら、準備していこうと考えています。そんな矢先、スマトラ島沖地震があり、今回も救援部隊に参加できるはずだったのですが、間抜けなことにパスポートの更新をしていなかったばかりに、貴重な経験をする機会を逸してしまいました。死者数十万人という未曾有の大災害から何を学べばいいのか、これから考えていかなければなりません。

 医者としての20年間の経験を、この地でどのように生かしていけるかを真剣に考えています。もともと外科医ですが、手術だけをやっていればよいという感覚には違和感を持っています。医療にできることとできないことをはっきりさせ、たとえ治すことができない患者さんも、見捨てることなく癒すことができる医療者でありたいと思います。患者さんにはもちろんのこと、地域の方々、そして病院の職員からも愛される病院作りに、腰を据えて励んでいきます。

 今回、本欄に連載する機会をいただきました。私の限られた知識と経験ではありますが、医療の中で、皆さんにもなじみのあるものの興味深い歴史的背景から話を初めていこうと思います。今の医学がどのような道を歩んできたのか知り、どれほどの恩恵を我々が受けているかを感じて、その背後にいた有名および無名の英雄たちに思いをはせてください。さらにその上で、現代医療が直面している問題点と今後の展望にまで話を広げていければと思います。できるだけわかりやすくお話ししますので、しばらくの間おつきあいください。

院長 笹壁弘嗣
新庄朝日 第517号 平成17年1月15日 掲載

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